「代打の切り札」矢野謙次。巨人→日本ハムに移籍後2年は悩んでいた (2ページ目)

  • 寺崎江月●取材・文 text by Terasaki Egetsu
  • photo by Kyodo News

巨人時代から「代打の切り札」として活躍巨人時代から「代打の切り札」として活躍

──そういった準備が"ハマった"場面はありますか??

「特に満足感があったのは、武田勝さん(当時日本ハム)と能見篤史投手(阪神)との対戦です。武田さんに関しては、2012年日本シリーズでのことでした」

──そのシリーズでは第2戦でも対戦していますね。試合は1-0で巨人が勝ちましたが、1回に1点を奪ってから巨人は6回まで抑えられました。

「第2戦の後に『絶対にもう1回登板してくる』と思った通り、巨人が3勝(2敗)で迎えた第6戦でも武田勝さんが先発し、僕は6番レフトでスタメン出場しました。第2戦で巨人のバッターが変化球に翻弄されていたので、僕はストレートにタイミンクを合わせて変化球に対応するスタイルだったんですが、最初から『変化球を打とう』と準備していたんです。そういう準備をしたのは初めてでしたね。

 そして満塁で迎えた第一打席、変化球を狙っていた僕はカウント3-2からのストレートに対応できてレフトフェンス直撃のヒットを打ちました。結果的に変化球を打ったわけではないので"ハマった"とは違うかもしれませんが、相手にダメージを与えることを考えて充実した準備ができたので、思い出深い場面です」

──能見投手との勝負に関しては?

「翌シーズンに、日にちまでは覚えていませんが、東京ドームの試合で二塁打を打ったときです。当時、能見さんの150キロ近いストレートと、抜けがいいチェンジアップに巨人はきりきり舞いにされていました。それを見ていた僕は、『このチェンジアップは、ストレートのタイミングでは打てない』と思い、オフシーズンに能見さんのチェンジアップを打つ練習に取り組んでいたんです。

 変化球だけに的を絞るとバッティングフォームを崩してしまうため、基本であるセンター返しの練習も怠らずにやりました。シーズン開幕後のビジターでの試合で、その練習をする場所がない場合は、宿舎の部屋や駐車場でフォームを確認していましたね。そこまでしてチェンジアップを打つことにこだわったのは、『スタメン選手たちが打ち悩んでいる時、エースやセットアッパー、クローザーを一打席で打てる選手』になるためです」

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