あの顔にマスクはもったいない。
捕手→投手へ浅尾拓也コンバート秘話
"投手・浅尾拓也"をいちばん最初に誌面に載せたのは私じゃないかと思う。もちろん、リーグ戦の結果記事などで地元の新聞に名前が出たことはあるかもしれないが、"日本福祉大の浅尾拓也"を単独で取材し、記事にしたのはおそらく私が初めてのはずだ。
セットアッパーとして中日の黄金期を支えた浅尾拓也「なんで僕なんですか? 取材なんて初めてです!」
初めて会った時、浅尾がうれしそうにそう言ってくれたことを今でもはっきりと覚えている。
「僕もうれしいんですけど、親がすごく喜んでくれて」
その言葉で一瞬にして浅尾のファンになってしまった。
当時、ある雑誌で「隠れた逸材発掘」という連載を担当していた。ある時、愛知六大学リーグのひとりの監督が、浅尾のことを教えてくれた。
「マンガに出てきそうなピッチャーがいますよ。こんなとんがった長髪で、帽子をあみだに被り、アイドルのように体は細いんですけど、140キロ投げるんですよ。2部(リーグ)ですけどね」
その言葉に、私のアンテナがすぐに反応した。実際に会ってみると、その通りの人物で驚いたが、彼のボールを見た時の衝撃は強烈だった。
キャッチボールからとんでもなかった。ノーワインドアップで、胸のあたりでグラブにボールをセットして、そこからクイックで急に投げてくる。いつボールを放したのかわからない。しかも、キャッチボールなのに球速は間違いなく140キロ中盤は出ていた。こんな捕りづらいボールを投げるピッチャーは、これまで出会ったことがない。
大学時代の浅尾は、"なわとび"で足腰と手首、腕力を鍛えていた。投げる瞬間、ピョンと跳ねてから強靭な手首を最大限に使って投げてくる。その投げ方は、まさに"変則投法"だった。
「ストライクさえ入ったら、絶対に打てない......」
これが浅尾との最初の出会いだった。
「よく捕れますね。浅尾のボールって、めちゃめちゃ動きません? 速いし、動くし......とにかく怖いから、僕はキャッチボールもやりませんよ」
成田経秋監督(当時)が不思議そうにいたわってくれた。ちょっと前まで社会人野球でプレーしていた人がそう言うのだから、厄介なボールなんだろう。
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