手術から1541日の空白。それでも荒木大輔は、もう一度投げられた (4ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

──荒木さんは日本シリーズの初戦に先発して、6回を投げ4失点を許したものの、見事に勝利投手になりました。

「1993年は『勝てるだろうな』と思っていたし、マウンドに上がるのが楽しかった。ほかにいいピッチャーがいるのに、自分に初戦を任せてもらえることの喜びもありました。野村監督にはリーグ優勝が決まったあとに初戦の登板を告げられましたが、『負けたら監督のせいだ』と思いました。だって、ほかにいいピッチャーがいるのに私を起用するわけですから。それは、エースでもないピッチャーを投げさせる監督の責任ですよね(笑)」

──野村監督のもとでスワローズは、1995年、1997年にもリーグ優勝を果たし、いずれも日本一にもなるなどセ・リーグの中心にいました。しかし、荒木さんの成績は下降し、1994年はわずか1勝だけ。1996年には早実の先輩でもある大矢明彦さんが監督を務める横浜ベイスターズに移籍することになりました。

「その頃、どこかを痛めたということはありません。年齢的には30歳を少し過ぎたところで、まだ肉体的にも問題はありませんでした。でも、思い通りのピッチングができなくなっていました。若い投手の台頭もあって、一軍半くらいのポジションに追いやられてしまった。『同じ力量なら若い選手を使おう』と思ったのかもしれません。チャンスがなくなってきたので、球団にお願いして移籍させてもらうことになりました」

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