引退した元巨人・加藤健が語る、18年の控え捕手人生と「あの死球」 (3ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva 寺崎江月●協力
  • photo by Kyodo News

──一軍に上がった後はずっと試合に出ていましたね。

「実は、ある試合のクロスプレーであばら骨にひびが入っていたんです。でも、トレーナーのみなさんのおかげで、痛さは我慢できました。"これくらいの痛さなら、ひびが入ってもいけるな"と思うようになれた。やっぱり二軍に落ちたくないので......。今でもトレーナーさんには感謝しています」

──翌2016年シーズンは、一転して2試合の出場にとどまり、9月に球団から戦力外通告を受けます。しかし、そこで現役続行のために移籍を目指したのは、意外に感じた人も多かったと思います。

「(巨人の)堤辰佳GMからは(次の仕事の)お話をいただき、僕のことをすごく思ってくださいました。ただ、世間の会社の人もそうだと思いますが、違う部署でやってみたい思いがあった。移籍というのはタイミングです。一瞬のチャンスをつかんでものにした人も見てきましたし、絶対に成功すると思った人がそうでなかったこともあった。上司に必要とされるかもしれないし、されないかもしれない。そういうしびれるところにもう1回行きたい、スタートラインに立ちたいという思いはありました」

──巨人は二軍のホーム最終戦(読売ジャイアンツ球場)で、ちょっとした演出をしてくれましたね。

「堤GMに、始球式で長男とバッテリーを組ませてもらえないでしょうかと聞くと、快く受け入れてくださった。実は引退試合も考えてくれていて、高橋由伸監督も含め、進めてくれていたんです。ただ僕がわがままで現役続行にこだわった。ジャイアンツ球場では、新潟の両親ら家族を呼んで、野球をやっている息子が投手で僕が捕手。長女は僕の後ろに立ちました。子供たちに"パパはここで仕事をしていたんだよ"と、心に刻んでもらえればと思っていました」

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