プレーの場を求めて自費でコロンビアに。さすらいの「野球バカ」物語 (3ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi

 そこで小野がとった行動は「二足のわらじ」を履くことだった。帰国した小野は、国内で最後にプレーした愛媛・松山に拠点を置き、フリーランスの野球インストラクターとして顧客を募り、その一方で、故郷の大阪でバーを開いた。商才があったのかはわからないが、事業はすぐに軌道に乗った。

 こうして生活の基盤を築きながら再びプレー先を探し、2014年にはドイツのクラブチームに選手兼指導者として職を得た。決してレベルの高いところではなかったが、野球の伝道師として、本職の外野手ではなく、投手や内野手として見本を示しながらのプレーは、これまでにない新鮮味と充実感があった。

 ここで2シーズンを過ごした後、小野は実業家として次の手を打つ。妻と暮らす松山にバーの2号店を開店。翌年にはビジネスを松山に集約させるため、大阪の店を売却した。

 その知らせを聞き、ようやく小野も現役引退を決断したものだとばかり思っていた......。しかしそうではなかった。

 フェイスブックに届いたのは、コロンビアにいる彼のユニフォーム姿だった。冒頭にあったセリフは、彼の所在を確認した私のメールへの返信である。外国人枠のリザーブ(補欠)扱いで無給、ギャラは選手登録されれば出るという不安定な身分。その上、渡航費も自腹という条件にも、「いつものこと」と気にもせず南米の地へと旅立った。

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