元ホークス斉藤和巳が今だから話せる、復帰を目指した地獄の日々 (4ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News 協力●寺崎江月

――当時は選手ではなく、三軍リハビリ担当コーチという肩書でした。

斉藤 はい。なので、期限ギリギリの7月31日までに支配下選手登録されることを目指しました。そこまでに投げられるようにならなければユニフォームを脱ごうと。2012年の契約更改のときに、言葉には出さずとも、自分では決めていた。これだけバックアップしてもらえる球団はほかにないし、それにいつまでも甘えていられないこともわかっていました。だから、7月までに勝負すると。

――期限を決めたら、もう肩の状態がいいとか悪いとか言っていられませんね。

斉藤 もう前しか向いてなかった。期限が目前に迫ってきて、6月に入ってからは焦りもあったかもしれません。7月31日までに結果を出さないといけない。自分の力をアピールするために、試合で投げさせてもらえるだけのものを見せる必要がありました。痛みをごまかして、無理して投げて。いま振り返ったら、この時点でもうアウトですよね。でも、ワラにもすがる思いで、痛み止めの注射も打って、薬もどんどん飲んでましたから。

――効果はありましたか。

斉藤 やっぱりよくなりませんでした。痛み止めの注射や薬に頼ると、違和感の振り幅が大きくなっていくんです。7月半ばの段階で可能性を見出せなくなったので、自分のなかで答えを出しました。でも、引退という言葉を口にすることはなかなかできなかった。それを言ったら終わりだとわかっていたので。球団の方に自分の気持ちを話して、7月29日に記者会見することになりました。

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