計算ずくめの逆転V。「指揮官の予言」で振り返る日本ハムの4年間 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

 しかしながら2年目の栗山監督は、優勝から最下位という屈辱を味わわされた。就任3年目を迎えた2014年の春には、こんな話をしている。

「今年は稲葉や(金子)誠の出場機会を減らすくらい、次の世代の選手たちが来ていなければダメだよね。とくにコンちゃん(近藤)と(西川)遥輝は期待値からすれば全然、行き切れてないんだけど、それでもワクワクさせてくれてるよ。たとえば近藤については1年目からキャッチャーの他にサードと外野をイメージしていた。だから1年目の日本シリーズから代打として使ったし、練習では内野でノックを受けてもらったりして、ずっと準備をさせてきた。遥輝にしてもそう。センターなのか、ファーストなのか、セカンドなのか......あらゆる可能性をイメージしておくと、野球の神様が、ここだというピンポイントのタイミングで指示を出してくるんだ」(2014年春)

 この年、小谷野がケガをしたため、近藤がサードを守ることになる。そして陽岱鋼がケガをしたときは、すかさず西川がセンターに入った。これが2年前のことだ。

 そして去年――。

 監督として優勝、最下位、3位ときての2015年のシーズン前、このときの栗山監督はルーキーの名前を挙げている。それがドラフト1位で入団した有原航平だった。

「有原はね、モノが全然違う。キャンプの間、二軍のグラウンドまで行って、有原のブルペンは全部見た。ヒジに不安を抱えてプロに入ってきたけど、彼に関しては5月には投げられるよ。全然、早くない。焦って5月というんじゃない。慎重に考えて、5月なら大丈夫という判断なんだから......」(2015年春)

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