さらば番長。三浦大輔がプロ初登板の
日に誓った「最後の真剣勝負」 (3ページ目)
努力を積み重ねた三浦は、150キロの速球こそ持っていなかったが、ボール1個分、いや半個分を出し入れする絶妙なコントロールとキレで勝負する、日本プロ野球界を代表する技巧派となった。時に相手の呼吸までも読み、絶妙の間合いで翻弄する。
「でも結局、自分がやることをやったら、あとは打者次第ってこともあるんですよ」
三浦は達観した表情で続ける。
「たとえば自分で打者を引っ掛けさせるイメージで投げて、それができることもあるけどバッターが振るとは限らない。じゃあ自分ができることはと言えば、キャッチャーが構えたところにキレのいいボールを投げるだけ。そうすることによって内野ゴロになる確率は高まる。けれどもヒットを打たれることもある。そこが野球の面白さなんじゃないかな。ここに投げれば100%抑えられる場所なんてないし、止めたバットがヒットになることもある。そうなるともう、自分がやれることをやるしかないんですよ」
野球とは確かなものではなく、常に不確かなもの。ゆえに駆け引きにより、年齢を経ても勝負できる余地は多分にある。三浦は長年の現役生活で、見事それを具現したと言ってもいいだろう。
引退のときが刻一刻と迫っている──。
現役としてただ一人、横浜大洋ホエールズ時代を知る、正真正銘の"最後のクジラ"。
三浦が一軍初登板を果たしたのは1992年10月7日。巨人相手に2イニングをピシャリと抑えている。対戦したバッターは吉村禎章、岡崎郁、村田真一、大久保博元といった面々で、初三振は球界屈指の好打者・篠塚利夫(現・和典)から奪っている。
3 / 4