それでも日本復帰はないのか。3A最多勝・村田透「31歳の苦悩」 (2ページ目)
「最多勝は関係ないです。昨年は昨年、今年は今年ですから。それに、あくまでマイナーでのことですから。メジャーに上がれるなら、どこでもいいですよ」
村田は自分に言い聞かせるように、ブルペン待機の日々を送っていた。
先発のときと違い準備期間の短さに悩まされながら、開幕から3カ月、18試合に登板して4勝1敗という、リリーフとしてはなかなかの数字を残していた。し かし、防御率3.56という数字は、首脳陣に1点もやれない場面で送り出すのをためらわせるものだった。気がつけば、登板間隔は先発ローテーションに入っ ていたときよりも長くなっていた。
7月1日、今シーズン19試合目のマウンドは、長年慣れ親しんだ先発だった。先発予定だった投手の故障で巡ってきたチャンスに、村田は予定されていた4回を3安打無失点に抑え、100%の回答を出した。自分の本来の職場がどこなのかを首脳陣に示した。
登板後のコメントは、いつもの彼らしく淡々としたものだった。
「当たり前のことですが、これに納得せず、これを次も続けるということです」
だが、その次の登板は先発ではなく、再びリリーフだった。試合序盤の3回、1点リードの場面でマウンドに上がった村田はその回は無難に抑えたものの、続く 4回は2つのアウトを取るまでに8失点を喫してしまった。失意のマウンド後に言い渡されたのは、2年ぶりとなる2A降格だった。
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