怪物復活を予感させる、松坂大輔とホークスの「約束」 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

 しかし、安心して先発で投げられていたわけでない。監督が「ダイスケには先発の適性がある」と言いながら、GMはチームの方針として松坂をローテーションに組み込もうとしなかったのだ。それが20代の時の話なら、どんな環境の中でも答えを出せと言われれば、それを跳ね返す馬力があっただろう。しかし30代も半ばになり、右ヒジの手術も受けたとなれば、ある程度の準備は欠かせなくなってくる。そこをすっ飛ばされて、どんな起用法でも結果を出し続けろと言われてしまったら、心は満たされない。

 オールスター後、ふたたびブルペンへ配置転換されてからも、結果を残せば先発のチャンスが巡ってくるかのような雰囲気だけを作られ、過酷な中継ぎでの登板を強いられる。いつ来るかわからない出番に備えてブルペンで試合中、3度も4度も肩を作り、結局は投げなかったなんて日は何度もあった。やっと巡ってきた中継ぎのマウンドで結果を積み重ねると、今度は首脳陣から「ダイスケは先発よりも中継ぎに向いている」などと言われる始末。これでは、どう頑張ったらいいのかさえ、わからなくなってしまう。

 だから、モチベーションを保てないという次元の話ではない。松坂はチームのムチャな要求にも心を折らず、懸命に応えてきた。しかし手術を受けてから大事にしてきた彼のヒジは、そんなムチャな要求に耐えられるものではない。ただでさえ肩、ヒジをあっためるのに時間を要するタイプの松坂は、ブルペンでかなりの球数を投げていた。それを1試合で3度も4度も繰り返し、何日もそんな日が続けば、やがてヒジが悲鳴を上げるのも無理はなかった。

 要は、メッツでの松坂はいざという時の"保険"だったのだ。公平な競争など、どこにも存在しない。だから結果も問われなかった。

 そんな理不尽なロジックの中で野球をすれば、知らず知らずのうちに、誰かを見返すための野球になってしまっても不思議ではない。松坂にはそういう野球をしてほしくないと願っていたら、そうなる前に彼は日本に戻ってきた。公平な競争とチャンスを与えられ、きちんと結果を問われる環境を求めて――。

 松坂は今年、ホークスのユニフォームを着る。2月1日、彼は9年ぶりに宮崎でキャンプ初日を迎えることとなった。"平成の怪物"の日本球界への復帰はあちこちで不安視されている。実際、松坂も昨年末のホークスの入団会見でこう言っていた。

「手術を受けて3年が経ちました。年々、状態はよくなっていますし、2014年は体への手応えも感じていました。ですから、今は投げることに関しては不安なくやっていけますし、もちろんみなさんが不安に思うのは、ここ数年の僕を見ていれば当然のことだと思いますが、2015年のシーズンが終わる頃には『そんな心配はいらなかった』と思ってもらえるようにやりたいし、そうできると思っています」

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