谷繁監督が語る「2014年の中日に足りなかったもの」 (5ページ目)

  • キビタキビオ●構成 text by Kibita Kibio
  • 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

野村 やはり、ピッチャーをやっている立場だとピッチャーやってほしいし、野手をやっている立場だと野手をやって欲しいというのがありますね。セ・リーグで印象に残った選手は?

谷繁 先程も出ましたけど、広島の菊池ですね。スピードもあるし、全体的にレベルがワンランク上がったな、と感じました。

―― チームの順位が4位だったことについては、どう感じていますか。

谷繁 良いか悪いかでいったら、もちろんダメです。でも、最初からうまくいくとは思っていませんでした。このチームをどういうふうにして強くしていくかを常に頭に置いて、「今年が悪かったからまた来年!」ということではなく、最後まで戦う姿勢は見せました。僕は、長く勝ち続けることができるチームになるためには、積み重ねが必要だと思っています。横浜の時もそうやって強くなっていきましたし、中日でも13年間プレイして、11年Aクラスにいられたのは、その時のメンバーによる積み重ねがあったからです。

野村 今年の戦いを振り返って、中日に足りなかったもの、いちばん痛かったことを挙げるとしたら、何になりますか?

谷繁 いろいろありましたけど、やはり、選手の層が薄かったということだと思います。交流戦に入って勝ちが先行するようになって、「よし、8月から勝負!」という時に、入れ代わり立ち代わり選手がケガをして、結局、メンバーが揃わなかった。やはり、これが痛かったです。ただ、そのために1チーム70人の枠があるわけですから、若手にしてみれば、すごくチャンスのあった1年だと思うんです。

野村 そのチャンスを掴み取れる選手が出てこなかった?

谷繁 そうですね。1カ月くらいはつかんだ選手もいましたけど、逆にいうと1カ月しか持たなかった。やはり、選手層が薄かったんです。

次回につづく>

■撮影協力/ぐらすうっど(横浜市青葉区)

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