阪神・安藤優也、果たせなかった11年越しのリベンジ (2ページ目)

  • 岡部充代●文 text by Okabe Mitsuyo

 そして、あのシーンを忘れられない人物はほかにもいた。指揮を執っていた星野仙一監督と矢野だ。

「ベンチの指示で外野に前進守備をさせたんや。いつもの守備位置なら、赤星は追いついていただろうな」(星野監督)

「僕はあの試合、すでに3回マウンドに行っていたから、首を振った安藤とちゃんと話せなかった。もし安藤の考えを聞いた上で、僕が納得して『思い切って投げてこい』と言えていたら、結果は違ったかもしれない。コーチに出てきてもらうとか、キャッチャーとしてできたことがもっとあったはずだと思うと、今も悔しい」(矢野)

 短期決戦で大事な初戦を落とし、結果的に3勝4敗で日本一を逃しただけに、三者三様の悔恨が福岡の地に残ってしまった。

 あれから11年。相手チームはダイエーからソフトバンクと名前を変え、両軍とも当時の主力選手はほとんど残っていない。ちなみに、阪神で2003年のシリーズを経験しているのは、安藤以外に福原忍、関本賢太郎のふたりだけだ。

 だから、安藤は「リベンジ」という言葉は使わなかった。「全然、違うチームだから。残っているのは松中(信彦)さんくらいでしょう」。頭ではそう理解している。でも、借りを返したい気持ちは消えない。「ここに来ると思い出すんですよね」。10年以上たった今も、ヤフオクドームのグラウンドに立つと鮮明に浮かんでくる。ズレータのバットから放たれた鋭い打球が、赤星のグラブの先を抜けて左中間を転々とする光景......。

 安藤は2005年から先発に転向し、同年、ロッテとの日本シリーズ第2戦(千葉マリン)に先発した。2008年からは3年連続で開幕投手も務めた。その後、故障に苦しんだシーズンもあったが、昨季からリリーフで復活。2003年と同じポジションに身を置き、名称は変わっても、同じホークスと日本一を争うチャンスがめぐってきた。

「時は流れているんですよね。あの時はリリーフで、今もまた......。(サヨナラ負けで)悔しい思いをしましたけど、あの経験があったから、ここまでやってこられたとも思う。高い授業料でしたけどね(苦笑)」

 10月28日、1勝1敗のタイで迎えた日本シリーズ第3戦。安藤は11年越しの悔しさを晴らす時をヤフオクドームのブルペンで待った。すでに今シリーズ初登板は甲子園での第2戦で済ませており、1点ビハインドの8回を三者凡退。「コンディションはシーズン中よりいい」と手応えを得ていた。

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