平凡だけど非凡。岩崎優が「虎の救世主」と呼ばれるまで (2ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • photo by Nikkan sports

 この左腕こそが、阪神投手陣の救世主として活躍中のルーキー、岩崎優(いわさき・すぐる)だったのだ。

 4月2日の中日戦で、先発としてプロデビューを果たすと、5回を3安打無失点に抑えプロ初勝利。続く9日のDeNA戦では7回を投げて6安打1失点。勝ち星こそつかなかったが、ストライクを先行させる落ち着いたピッチングで、立派に試合を作ってみせた。

 大学当時の岩崎は、たしかに"左の好投手"だった。国士舘大は東都大学野球リーグの2部に属しており、試合はいつも神宮第二球場で行なわれていた。でも岩崎が投げる日は、隣の神宮球場で東京六大学リーグがあっても、東都大学リーグの1部の試合があっても、必ずプロのスカウトたちが顔を揃えた。

 岩崎は2年生からリリーフとしてリーグ戦で投げ始め、3年生で先発に転向。そして4年生になると、エースとして先発、リリーフと大車輪の奮闘を続け、リーグを代表するサウスポーへと成長していった。

 手も足も出ないようなボールはなかったが、いつも100%の力を出していた。"最大瞬間球速"として145キロ前後をマークしたことがあったらしいが、アベレージは137~138キロ前後といったところ。だが、そのストレートで空振りの三振を奪う。球が速い投手ではないが、間違いなく「速く見える投手」。打者の体感スピードなら、140キロ中盤に達していたことだろう。

 ぼんやり見ていると平凡な投手にしか見えないのだが、よく見ると、非凡なものをいくつも持っている。変化球はスライダーにフォーク、スリークォーターで投げるためカーブは投げにくそうにしていたが、大学3年の終わり頃からスクリューが右打者から逃げるように外にスッと沈み始めた。その多彩な変化球はしっかり低めにコントロールされ、抜けて高めにいくことはほとんどなかった。

「変化球を低めにコントロールできる左腕はかなり高い確率で、プロで通用する」

 これは長年の傾向から割り出した"黄金則"である。国士舘大の岩崎は、まさにこれに当てはまった。

 打者を圧倒する球威はないから、たまに連打を食らうこともある。低めに伸び、変化する球筋は審判も判定が難しい。ボールに取られて四球が続くこともあった。外から見ていてすぐわかる非凡さじゃないところが、ドラフト6位という順位になったのだろう。

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