中日・大野雄大の決意。「前田健太には負けたくない」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

 常に世代のトップを目標に定め、「いつかは追いつき、追い越してやる」と。ひとたびやると決めたら一切の妥協はなかった。コントロールに難のあった高校時代は、投球練習の最後に"10球連続アウトロー"のノルマが課せられた。それを決められなければ練習を終えることができず、気がつけば200球、250球を投げることもあった。時には涙を流しながら投げることもあったが、ノルマを達成するまでマウンドを降りることは一度もなかった。

 佛教大学時代もそうだった。まだまだ全国から見ればマイナーだった京滋リーグでエースとなった大野は、斎藤佑樹、大石達也(当時・早稲田大)や澤村拓一(当時・中央大)らの、俗にいう"中央リーグ"の選手たちを徹底的に意識した。いくら投げても、いくら勝っても、日本代表メンバーに選ばれない屈辱を味わったが、その悔しさを原動力に「投げ合ったらアイツらには絶対に負けない」と上を向き続けた。

 プロ生活1年目は、大学時代に痛めた左肩の影響でリハビリ中心の生活を送った。2年目は7月にプロ初勝利を挙げるなど4勝。そして昨年はチームトップの10勝をマークした。確実に階段を駆け上がってきた大野が、まず今季の目標に掲げたのが開幕投手だった。

 開幕投手はエースのしるしだ。中日のエースといえば、大野が2年目から自主トレをともにしている吉見一起。大野が初めて一軍昇格を果たした時、吉見が「フォームに興味はあるか」と声を掛けてきたのがきっかけだった。大野はこの時、あろうことか「今のところはないです」と返したのだが、吉見は「1回、ついて来てみたら。話を聞いてみて、いいと思えば参考にすればいいから」と、知り合いのトレーナーがいる福岡県の施設に連れて行った。そこで動作解析など投球フォームをチェック。さらに吉見からのアドバイスにも耳を傾ける中で、体への負担が少ないフォームを作り上げた。

 本来なら、中日の開幕投手はエースの吉見だ。しかし、吉見は昨年行なった右ヒジの手術の影響で復帰は5月以降と見られている。そこで、「吉見さんが難しいのなら、オレが......」と大野の闘志に火がついた。もちろん、田中将大や前田健太といった同級生たちの存在もあった。「すでに同級生の投手は開幕投手を経験し、球界を代表する投手へと成長している。自分もその場所に早く立ちたい」と。

 まして、今季の開幕カードは広島戦。相手の開幕マウンドには間違いなく前田が来る。こだわらないわけがなかった。

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