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松井裕樹だけでなく......。甲子園で輝いた「背番号1」のプライド (5ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 涼しい顔をして、キレのいいストレート、多彩な変化球を両サイドにきっちり投げ分ける。板東は、ひとりで投げ抜いてきたという、いわゆる“悲壮感”とは無縁のエースだった。しかし、胸の奥に秘めたエースの矜持は、確実に育まれていた。最後の夏を前に肩が悲鳴をあげた時も、「監督には絶対に言わない」と心に決 めていた。何も言わずに投げて、そのせいで負けたとしても、「一生、黙っとくか」と腹を括(くく)るくらいの覚悟もあったのだという。

「痛いのをガマンして投げて、その試合でピッチャーとして終わってしまったとしても、正直、僕は高校野球までかなと思っていたので、絶対に投げていたと思っていました。もちろん、僕よりもいいピッチャーがいれば、譲りますよ。でも、そうじゃなければ、投げますよ。やっぱり甲子園って特別じゃないですか。そのため に野球をやってきたんだし、その時にヒジが痛い、肩が痛いから投げられないなんていうのは一生、悔いが残ります」

 ところが、そんな板東が最後の夏、徳島大会が始まる直前に肩の痛みを訴えたから、森脇監督は仰天した。

「県大会に入る直前、7月に板東が初めて『肩が……』と言い出しました。アイツ、それまでは故障したこともなかったし、痛いと口にしたこともなかった。その板東が痛いと言うんだから、これはまずいと思って、ノースローにして、投げさせずに治療に専念させた。そうしたらフォームがわからなくなって、県大会はボロボロの状態でした」

 坂東は自分のことよりもチームのことを考えたのだと言った。最後の夏、甲子園で投げるために、今ならまだ間に合う……徳島大会を万全な状態で迎えることができなかったエースのために、野手が一丸となった。鳴門は持ち前の強打と板東の粘り強いピッチングで徳島を勝ち進んでいく。準決勝では17本ものヒットを浴びながら、鳴門渦潮を8-7で下し、決勝でも川島を9-4で退けて、4季連続の甲子園出場を決めたのだ。

 そして、甲子園で快進撃を続けた鳴門。板東はずっとひとりで投げていた。それどころか、投げるたびにギアが上がっていった。森脇監督はこう言う。

「板東が、『甲子園は投げやすいですね』と言うんです。その時、これはいけると……甲子園で投げたときのいい感覚が戻ってるということは、気持ちが前向きになっているということですからね。これなら、ある程度は放れると思いました」

 1回戦の星稜戦では12-5、2回戦の修徳戦は延長10回、6-5でサヨナラ勝ち。3回戦の常葉学園菊川戦では17-1で大勝した。坂東は毎試合、当たり前のように完投する。星稜戦での鳴門打線は7回に8点、8回に3点を奪って11点差をつけて9回に突入した。常葉菊川戦では8回に5点を奪って16点差をつけた。それでも9回のマウンドには板東が上がった。さすがに「交代させるべきではなかったのか」という非難に近い声は、森脇監督にも聞こえてきた。

「なぜ代えなかったのかってずいぶん言われましたけど、いないんですから仕方ないじゃないですか。現実的に、甲子園で勝っているチームでもピッチャーはひとりという学校は多いと思います。どれだけ点差が離れていても、甲子園で野手を投げさせるわけにはいかないし、それ以前にウチが甲子園で一挙に8点を取ったということは、一挙に8点を取られる可能性もあるわけです。そこから相手を波に乗せてしまうかもしれない。甲子園って、ひとつのプレイでグワッと雰囲気が変わるんです。だったらあと1イニング、20球ぐらい余分に放ったってエエやろうと……このチームは板東一本で行くと、僕も子どもたちも腹を括っていましたからね」

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