松井裕樹だけでなく......。甲子園で輝いた「背番号1」のプライド (2ページ目)
甲子園を夢見る高校野球のピッチャーにとって、エースナンバーへの思い入れは強い。
どのエースからも、チームの顔として、1番を背負うプライドが垣間見える。
どの夏にも、このチームで投げるのはオレしかいない、というエースがいる。
地方大会の初戦突破が目標のチームから、甲子園に出るのは当然というチームまで、レベルは違っても、チームを背負わなければならないプレッシャーに違いはない。そして、二番手のピッチャーを起用しない理由も、ほぼ同じだ。要は、エースと二番手に差がありすぎるから――つまりは二番手で負けたら悔いが残るというわけだ。一度でも負けたら次がない、高校野球ならではの発想である。
その結果、エースの連投が続き、球数が増え、ケガを招くこともある。それを甲子園の弊害だと声高に叫ぶ人もいる。美談に仕立てるなと怒る人もいる。そうした声を否定するつもりはない。しかし、エースの球数を美談にするつもりなどなく、もちろん、勝つためだけに連投させているわけでもないチームもあるのだ。 エースが投げることが必然であり、それ以上でも以下でもないチームは、日本中にいくつもある。
だから毎年、ひとりで投げ抜いている背番号1に興味を抱く。
たとえば、夏の甲子園の決勝戦まで、たったひとりで投げ抜いてきたエースたちがいる(1980年以降)。
1981年/優勝:金村義明(報徳学園)/準優勝:井口和人(京都商)
1987年/準優勝:島田直也(常総学院)
1989年/準優勝:大越基(仙台育英)
1991年/準優勝:大野倫(沖縄水産)
1992年/優勝:森尾和貴(西日本短大付)
1993年/準優勝:土肥義弘(春日部共栄)
1994年/優勝:峯謙介(佐賀商)
1995年/準優勝:山本省吾(星稜)
1997年/準優勝:川口知哉(平安)
1998年/準優勝:古岡基紀(京都成章)
2009年/準優勝:伊藤直輝(日本文理)
優勝投手は、金村と森尾、峯の3人だけ。9人は、あと一歩で涙を呑んだ。中には大野や森尾、川口のように、その後、ケガに苦しんだピッチャーもいる。たったひとりで投げ抜いたことを悔いている選手もいれば、ひとりで投げ抜いたことを誇りに思う選手もいる。1998年夏の決勝で、横浜の松坂と投げ合った京都成章のサウスポー、古岡は京都大会から甲子園まで、たったひとりで投げ抜いてきたエースだった。古岡がこう話していたことがある。
「満足でしたよ。最後まで松坂と試合が出来るなんて幸せ者でしょ。マウンドに松坂の蹴り足の跡が残ってたんですけど、それを見て、『オレは今、あの松坂と一緒のところで放ってるんだな』って思いましたし、このマウンドは誰にも譲りたくない......そんな心境でしたね」
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