斉藤和巳「オレの連勝記録を破ったのが田中将大で良かった」 (3ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • 繁昌良司●写真 photo by Hanjo Ryoji

さいとう・かずみ/1977年11月30日、京都府生まれ。南京都高から95年ドラフトでダイエー(現ソフトバンク)から1位指名を受け入団。プロ8年目の03年、20勝(3敗)を挙げ、最多勝、沢村賞など数々のタイトルを獲得。日本一にも貢献した。06年にも18勝をマークし、二度目の最多勝、沢村賞に輝いた。その後は右肩のケガに苦しみ、11年からリハビリ担当コーチとして復帰を目指していたが、今シーズンで引退を決意した。通算成績は150試合に登板し、79勝23敗。防御率3.33。最多勝(2回)、沢村賞(2回)、最優秀防御率(2回)など数々のタイトルを獲得した。さいとう・かずみ/1977年11月30日、京都府生まれ。南京都高から95年ドラフトでダイエー(現ソフトバンク)から1位指名を受け入団。プロ8年目の03年、20勝(3敗)を挙げ、最多勝、沢村賞など数々のタイトルを獲得。日本一にも貢献した。06年にも18勝をマークし、二度目の最多勝、沢村賞に輝いた。その後は右肩のケガに苦しみ、11年からリハビリ担当コーチとして復帰を目指していたが、今シーズンで引退を決意した。通算成績は150試合に登板し、79勝23敗。防御率3.33。最多勝(2回)、沢村賞(2回)、最優秀防御率(2回)など数々のタイトルを獲得した。 ところで、僕といえば、マウンドで吠えているイメージがあったと思うんです。ここぞという場面では気持ちが入りますし、自然と大きな声が出ていたのは間違いありません。ただ、あれに関しては自信がない裏返しというか、気持ちを込めて投げないとやられてしまうと思いがいつもあったからなんです。正直、毎試合マウンドに上がるのが怖かった。

 僕が投げていた頃は、よく松坂大輔(当時・西武)との投げ合いに注目してもらっていましたが、相手のことを考える余裕なんてどこにもありませんでした。投げる前は不安しかなかった。投げ合っている相手を意識できるピッチャーってすごいと思います。それができていれば、また違った楽しみもあったのでしょうけど、僕にはできなかった。

 そのおかげといったらなんですが、一生懸命投げたことでたくさんのタイトルを獲ることができました。ただ、落合博満さん(現・中日GM)や松井秀喜さん(元ヤンキース)、ダルビッシュ有(レンジャーズ)のように記念館を建てるほど数があるわけじゃないし、何より自分には物欲がない。トロフィーとかも全部実家にありますし、欲しい人がいればあげてもいいかなって思っているぐらい(笑)。唯一、手元にあるのは沢村賞の記念品だけですね。ありがたいことに2回獲らせてもらったので、ひとつは実家にありますが、もうひとつは自宅に飾っています。投手としてあの賞だけは、やっぱり特別です。マーも2回獲ったし、これで心置きなくメジャーに挑戦できると思います。

 今シーズンが終わってからは、田中と会うことはなく、連絡も取っていないという。「アイツは、メジャーとももクロ(ももいろクローバーZ)で忙しいのとちゃうかな」といたずらっぽく笑った斉藤だが、田中のメジャー挑戦は応援したいと語った。

 マーにはメジャーに挑戦してほしいというか、行かないとダメだろうと思っていました。もう日本では普通に投げれば抑えられるという域に達してしまった。勝って当たり前のものを見ても面白くないでしょう。世界の一流プレイヤーが集まる舞台で、彼のピッチングを見たいですよね。

 実は、自分も若い頃はメジャーに行きたい気持ちがありました。行きたいというか、「行くもんだ」と思っていました。毎月、メジャーリーグ関連の雑誌を買って情報収集していましたね。まだ、一軍で投げていない、何の実績もない時に(笑)。でも、結局のところ、それも自信のなさの表れだったのかもしれませんね。でも、マーは絶対にメジャーに行くべき。新しいワクワク感を僕たちに与えてくれるはず。ひとりの野球人として、彼を応援したいですね。


斉藤和巳インタビュー(1)はこちら

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