沢村賞投手・斉藤和巳「もうボールを握りたくないほど、野球をやり切った」 (2ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • 繁昌良司●写真 photo by Hanjo Ryoji

「ケガをして良かった」というのもそうです。キレイごとのように聞こえるかもしれないけど、それが正直な気持ちです。ケガをしたことで、初めて色々なことに気付くことができましたし、それがなければもっと早く野球人生が終わっていた可能性も十分にあったと思います。矛盾しているかもしれないけど、間違いなく自分ではそう思っています。

 プロに入ったばかりの頃の自分は未熟どころか、ホントどうしようもない人間でした。今になって振り返ってみると、「そんなヤツがプロの世界に入ってきたらアカンやろ」というレベル。野球をやっていて良かったなとつくづく思います。高校の友達や先輩、周りの人にも「野球をしていなかったら、とんでもない方向に行っていたかもしれん」って言われます。「それはない」と否定しますけど、腹の底からは言い切れないですから(笑)。

 僕の中で大きな転機となったのが、1998年の手術の時に小久保(裕紀)さんとたくさん話ができたことでした。同時期に、同じ病院で、同じ右肩の手術を受けていて、病室が隣だったんです。よく周りの方や先輩から「一流の選手でもここまでやるんだ」みたいな話は聞かされていたんですけど、小久保さんを見て、初めてその意味がわかりました。それから野球観も人生観もすべて変わりましたね。

 小久保さんにはたくさんの言葉をいただきましたが、特に自分の中で大切にしているのは「群れるな」という言葉です。それだけを聞くと色々想像してしまうけど、そこにはいろんな意味があります。たとえば人に流されずに自分のペースを守り、その代わり責任を持たないといけないとか。そこからですね、いろいろと考えて行動するようになったのは。

 そして斉藤は、頂点を極めた。だが最後は、マウンドに立つという望みすら果たせなかった。6年間のリハビリの中で、「(復帰への)思いがどんどん強くなる」と話していた時期もあった。球団も「復帰のサポートを続ける」と約束していた。本人が望めば、来季以降も復帰に向けたリハビリを続けられる環境にあった。しかし、自ら「引退」の道を選んだ。

 じつは、去年の時点で辞めることを考えてしまった時期がありました。身近にいた小久保さん、城島(健司/阪神)さん、それに金本(知憲/阪神)さんも引退された。もう少し続けようと思えば続けられた人たちかもしれない。でも、身を引く決断をされた。その方々が決断しているのに、こんな自分が来年も続けていいのかと、正直悩みました。でも、辞めるという覚悟は出来なかった。周りの人に相談すると、みんな「まだ辞めるタイミングじゃない」と言ってくれました。本心は分からないけど、背中を押してもらった。もしかしたら背中を押してもらいたかったのかもしれないですね。

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