中村紀洋、谷繁元信......それぞれの2000安打物語 (4ページ目)

  • 石塚隆●文 text by Ishizuka Takashi

 さらに今シーズン、ラミレス、中村、谷繁に続き2000本安打を達成しそうなのが、千葉ロッテマリーンズの井口資仁だ。5月6日現在、日米通算1933安打。今シーズンは開幕から好調を維持しており、打率も3割を超えている。ケガさえなければ、すんなり大台へ乗せることができるだろう。

 井口の歩んできた道は華やかだ。青山学院大学で学生日本一になると、96年のドラフトでダイエーホークス(当時)を逆指名し入団。初年度から広角に打てる長打力と走力で一軍に定着し活躍。ホークス打線の中核として、3度のリーグ優勝、2度の日本一に貢献。

 05年になるとずっと憧れていたメジャーへの挑戦を表明。シカゴ・ホワイトソックスと3年契約を結ぶ。セカンドのレギュラーとして存在感を発揮すると、初年度にいきなりワールドシリーズで優勝。日本人野手として初めてチャンピオンリングを獲得した。

 その後もフィラデルフィア・フィリーズやサンディエゴ・パドレスを渡り歩きメジャーで確かな足跡を残すと、09年に日本球界に復帰。ロッテではセカンドとして活躍しているが、今年の4月にはプロ入り後初めてファーストの守備にもついた。

 今年の正月、井口はダイエー時代の恩師だったソフトバンクの王貞治球団会長から年賀状で「名球界で待っている」というメッセージをもらったという。プロに入ってから、40歳でも現役と2000本安打を目標にしてきたという本人は、「この2、3年、本数を数えながらやっている。十何年やってきてようやく達成できる。早い時期にクリアしたい」と語っている。

 そしてもうひとり、通算1914安打と達成まで100本を切りながら足踏みしているのが、読売ジャイアンツの谷佳知だ。プロ生活17年目、オリックスから07年に巨人へトレードされてきたときは不動の2番・左翼手としてチームトップの打率を誇ったが、成績は徐々下降線。一昨年は37安打、昨年は59安打しか放っておらず、今シーズンもファーム生活が続いている。

 しかし谷は、昨年の契約更改の記者会見で次のように意気込みを語っている。

「(2000本安打を)早く達成したいというのもあるし、チームが勝つために打ち続けたい」

 好調巨人にあって、谷はまず同僚との厳しい戦いを勝ち抜かなければならないが、一軍に上がればチャンスはある。

 最後に、谷繁に塗り替えられるまで史上最年長記録をもっていた宮本は、現役生活を長くやるコツを次のように語っている。

「若いとき、稲葉や近い年代の人たちとたくさん練習した蓄積です。それと『歳をとったと思うな』とよく言われるけど、僕はそう思ったほうがいいと思う。無理したらケガもする。僕は年齢を自覚して、その年齢に合った練習があるだろうし、そこが大事だと思う。若いときに練習してないと、なかなかそういうことを思えないと思うんですけど……」

 トレーニングの進歩やコンディショニングの大切さが認識されるように、選手寿命は格段に伸びている。その結果、2000本安打達成者も増え、毎年のように大記録が生まれている。だが、2000本安打といっても、そこにたどり着くまでの道のりはそれぞれである。

 二度の自由契約を経験し、6球団を渡り歩きながら達成した中村紀洋。捕手として出場することにこだわり、25年もの歳月をかけてコツコツと安打を積み重ねてきた谷繁元信。メジャー挑戦を果たし日本球界に復帰して2000本に挑む井口資仁……。

 快挙が続く今シーズン、2000本安打を機にそれぞれの野球人生を振り返ってみるのも面白い。

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