2012.12.19

【プロ野球】何のための制度導入だったのか?
育成選手の知られざる現実

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 佐賀章広●撮影 photo by Saga Akihiro

育成選手での再契約を拒否し、トライアウトに挑戦した大立恭平育成選手制度の「いま」を考える(前編)

 秋の風が心地よかった。

 雲ひとつない青空が広がる宮崎で、フェニックスリーグの試合を眺めていたら、ふと、彼らの名前が浮かんできた。

 ジャイアンツの伴宙太、八幡太郎平、さらにはタイガースの岩風五郎──こう並べば、四半世紀昔のマンガに詳しい野球好きなら、すぐにピンと来るだろう。伴は『巨人の星』で、八幡は『侍ジャイアンツ』、岩風は『男どアホウ甲子園』で、それぞれ星飛雄馬、番場蛮、藤村甲子園とバッテリーを組んでいたキャッチャー、つまりは主人公の女房役である。

 彼らに共通しているのが”3ケタ”の背番号だった。

 伴は119番、八幡は100番、岩風は222番。当時のジャイアンツには森昌彦、タイガースには田淵幸一という押しも押されもせぬレギュラーが君臨しており、伴や八幡、岩風は一軍のレギュラーには及ばなかった。しかしながら、主人公を陰で支える存在として同じチームに在籍し、ときには一軍の公式戦にも出場した。マンガならではの3ケタの背番号は、実在の選手の背番号と重ならないための苦しい選択肢だったのだと思う。

 しかし、目の前にも3ケタの背番号の選手がやたらと目立っていた。

 彼らは、育成選手だ。

 日本のプロ野球において、支配下選手として登録できる枠の上限は70人となっている。しかし平成以降の不況で社会人野球の廃部が相次ぎ、高校生、大学生が野球を続けるチャンスが極端に減ってしまうという危機感が野球界を包んだ。そこでプロ野球の世界から、支配下選手枠の上限を撤廃すべきではないかという議論が沸き起こった。そうすると、資金力のある球団がたくさん選手を抱え、不公平になるからと反対する球団が出てきて、ルール改正には至らない。そこで”緊急避難”的な発想から生まれたのが準支配下選手の制度、つまりは育成選手制度だった。