【プロ野球】西武・大石達也は大学時代に背負った『負の遺産』を返せるか?
昨年は右肩痛もあって、一度も一軍登板機会がなかった大石石山建一の『選手のみかた』~西武・大石達也
5月5日に埼玉西武ライオンズの大石達也がプロ初登板を果たしました。右肩の故障もありましたけど、本当に長かったですね。ようやくスタートラインに立ったわけで、ここからが本当の勝負になると思います。かつての自分を取り戻せば、私は必ず活躍できると信じています。
私がはじめて大石を見たのは、彼が福岡大大濠高校の3年の時でした。実は、大石の高校の監督は、私が早稲田大の監督をしている時の教え子で、「ウチにいい選手がいるから見てくれませんか」と連絡があったんです。それで早大のセレクションを受けることになったのですが、その時のことは今でも忘れられないですね。
セレクション当日、私は早大のOBであり、ヤクルト、西武で監督をされた広岡達郎さんと一緒に見ていました。そしてキャッチボールが始まってすぐに、私と広岡さんはひとりの選手に釘付けになったんです。それが大石でした。
とにかく腕の振りが柔らかくて、美しい。ボールも相手のグラブに吸い込まれるようなきれいな軌道でした。たしかセレクションには30~40人ぐらいいたと思うのですが、大石はずば抜けて光っていましたね。体の動きというか、バネが他の選手とは全然違っていた。広岡さんも、「4年後のプロはもちろん、間違いなくすごい選手になる」と絶賛していました。身体能力の高さに、入部当初は野手での起用も検討されたぐらいです。しかし私は、彼の才能を発揮するのはピッチャーだと思っていました。
ピッチャーはある程度トレーニングを積めば140キロは投げられるようになります。しかし150キロを超すとなると、天性の異質が必要になってきます。それが地肩の強さであったり、関節の柔らかさであったりするのですが、大石にはその資質がありました。だからこそ、ドラフトでは6球団から1位指名を受けたのだと思います。
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著者プロフィール
石山建一 (いしやま・けんいち)
1942年、静岡県生まれ。現役時代は静岡高、早稲田大、日本石油で活躍し、現役引退後は早稲田大、プリンスホテル、全日本の監督を務め、岡田彰布(現オリックス監督)、宮本慎也(ヤクルト)など、多くの名プレイヤーを育て上げた。95年には巨人に招聘され、編成本部長補佐兼二軍統括ディレクターに就任。現在は高校野球の指導や講演を中心に全国を飛び回っている。