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伊良部秀輝、松坂大輔、藤浪晋太郎... プエルトリコの地に残る日本人選手たちの記憶とクレメンテの面影 (2ページ目)

  • 加藤潤●文 text by Kato Jun

 饒舌なクルスさんの隣で、温和な笑みを浮かべるゴンザレスさん。彼は長年カロリナで少年たちの野球指導をしており、そのうちの3人がメジャーリーグにまで上り詰めたという。そんなゴンザレスさんが、特に忘れられない思い出を語ってくれた。

「一度、ニカラグアの子どもたちをこの球場に招いたことがある。まだ幼いのに、彼らは涙を流していたよ。クレメンテの生誕の地を踏んだことに感極まってね」

【災害の記憶を伝える球場の屋根】

 ピッツバーグだけでなく、ニカラグアの人々にとってもこの場所は聖地なのだろう。ふたりに次の目的地がニカラグアであること、クレメンテにゆかりのある場所や1972年の地震の遺構を訪れる予定だと伝えると、和やかなクルスさんが真顔になり、スタンドの屋根を指差した。

「ほら、球場の屋根を見てみな。真新しいだろう。7年前に骨組みを残して、すべて吹き飛んだからだよ。これは我々にとっての災害遺構と言えるね」

 1972年12月23日がニカラグアにとって国難の日であるならば、プエルトリコにとっては2017年9月20日がそれにあたる。この日、ハリケーン・マリアがカテゴリー4(日本の気象庁の基準では「非常に強い」とほぼ同義)の勢力でこの地を襲い、島を南東から北西へ縦断してインフラを破壊し尽くした。装いを新たにした屋根を支えるスタンドの骨組みは、当時を知る生き証人だ。

 この天災のあと、プエルトリコ人をはじめラテン系の選手たちはあらゆる手段で被災者を支え、クレメンテの意思を受け継いでいることを示した。加えて、サンファン市内にある屋内競技場、ロベルト・クレメンテ・コロシアムが被災者の避難所として機能した。藤浪晋太郎が触れた、彼の名を冠した施設のひとつである。クレメンテが残した有形無形の遺産を、はからずもハリケーンがあぶり出した。

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