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【MLB】大谷翔平が再び踏み出した「二刀流」 投手復帰3試合目でメジャー自己最速の101.7マイルが出た要因とは? (2ページ目)

  • 奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki

【打撃はリーグ屈指の投手相手に凡退も上々の復帰過程】

 復帰後、初めての2イニング目の投球では、より安定していた。まず、5番サルバドール・ペレスを98.8マイル(約159キロ)の速球で中直に打ち取り、6番ジャック・カグリオンには、カウント1−2から89.1マイル(約143.4キロ)のスライダーで空振り三振。続く7番ニック・ロフティンに対しては、カウント0−2から98.6マイル(約158.6キロ)のスイーパーで捕邪飛に仕留めた。

 試合後、大谷の101.7マイルについて問われたドジャースのデーブ・ロバーツ監督は、「この数字は予想外だった」と認めたうえで、次のように語った。「選手から闘争心を取り除くことはできない。多少ストレスがかかると、100マイルを超える球で、力で打者をねじ伏せようとする。今は登板後も体調を維持してくれる(痛みが出ない)ことを願っている」。

 また、大谷と2度目のバッテリーを組んだ新人捕手ダルトン・ラッシングは、こう振り返った。

「ヴィニー(パスクアンティノ)に対しては、少し力を入れていたのがわかった。全体的に球速もよかったし、マウンド上での動きにも慣れてきて、必要な場面ではしっかり投げきれていたと思う。本人も満足しているはず。今後は、先発としてどれだけ長いイニングを投げられるか、どこまで登板を引き延ばせるかに注目していくことになる」

 一方、打撃面ではこの日、3三振を含む4打数無安打と苦戦した。もっとも、打撃は相手投手によって大きく左右される。この日の先発、ルーゴは、昨季ア・リーグのサイ・ヤング賞投票で2位に入った一流投手で、今季も防御率2.74、WHIP(1回あたりの与四球+被安打)1.08と安定した成績を残している。

 大谷は「今日は(ルーゴの)制球がすばらしかったし、打線として粘り強くいけなかった。そのなかで、0−2(2点を追う展開での5回の第3打席)のフライが(スタンドに)入っていれば、また違った展開になったと思う。あと少し、押しきれなかった印象です」と悔しさをにじませた。その打席は、フルカウントから内角高めのカットボールを強く叩き、打球速度は110.6マイル(約178キロ)と強烈だったが、打球角度が45度と高く上がりすぎた。

 実はドジャース首脳陣は、今後、大谷が「投手・DH」として出場する試合では、打順を1番から下げることを検討している。ホームゲームでは、初回の登板後すぐに打席に立たなければならず、この日のアウェイでも、2回の登板を終えた直後に3回の打席に入り、空振り三振に倒れた。体力的にも精神的にも余裕がないのではないか。

 しかし大谷にとってはそれが自然な流れだという。「結果は悪かったですけど、基本的にはDHで1回、1回、代打みたいに出るよりは、マウンドからそのままの流れでいったほうが、自分のなかではナチュラルな感じがします」と、自身の感覚を語った。

 いずれにせよ、ここまで3試合に登板し、計4イニングで被安打3、失点1という安定した成績を残している点は明るい材料だ。100マイルを超えるストレートを安定して投げ込み、多彩な変化球で打者を翻弄。2度目の手術からの復帰に懐疑的だった人々の不安を払拭し、後半戦に向けて投手として十分な戦力になり得る姿を示している。

 つづく

著者プロフィール

  • 奥田秀樹

    奥田秀樹 (おくだ・ひでき)

    1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。

  • 大谷翔平

    大谷翔平 (おおたに・しょうへい)

    1994年7月5日生まれ。岩手県水沢市(現・奥州市)出身。2012年に"二刀流"選手として話題を集め、北海道日本ハムからドラフト1位指名を受けて入団。2年目の14年にNPB史上初の2桁勝利&2桁本塁打を達成。翌年には最多勝利、最優秀防御率、最高勝率の投手三冠を獲得。

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