ドジャースタジアム史上7本目の場外弾は間近? 大谷翔平の打球が飛ぶ理由を公式データで分析

  • 奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki

大谷翔平の今季30号の特大弾は飛距離144メートルをマーク photo by Kyodo News大谷翔平の今季30号の特大弾は飛距離144メートルをマーク photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る

 オールスター明けの7月21日、大谷翔平が本拠地ドジャースタジアムをどよめかせる一撃を放った。4年連続となるシーズン30号本塁打の飛距離は144メートル。もう少しで63年の歴史を誇る同球場の史上7本目の場外弾になる特大の一発だった。

 果たして大谷の打球は、なぜ豪快に飛んでいくのか。MLBが公表しているデータ分析を元に検証する。

【過去最長弾は155メートル!】

 1962年に開場、今年が63シーズン目になるドジャースタジアムは、メジャーの球場では3番目に古い。ボルティモアのカムデンヤーズ、ボストンのフェンウェイパークの成功で高い評価を得て、野球殿堂入りに値すると言われるボールパークデザイナー、ジャネット・マリー・スミス氏は、ドジャースに招かれ2012年から改築作業に当たっている。その彼女が新たにこしらえ、21年にお披露目したのが、外野席最前列にある「ホームランシート」だ。

「60年以上も避難階段として使われていた空きスペースを利用。避難経路を再設計して、空いた場所に新たな座席を配置してみました」。全83席、フェンウェイパークのグリーンモンスターシートのようなセミプライベートな空間である。ウェイターによる座席サービスで、飲食物が提供される。ファンはグラブを用意して、ホームランボールをキャッチできる。

「ロサンゼルス在住の、グリーンモンスターシートの従兄弟のようだと言われているわよ」とスミス氏。筆者が「問題は、大谷のホームランは最前列の『ホームランシート』をはるかに超えていくことですね」と聞くと、「確かに大谷の打球は外野のパビリオン(外野席)も超えていく」と冗談っぽく笑った。

 そんなやり取りから3日後の7月21日、本当に大谷の一撃がパビリオンを超えていった。対レッドソックス戦の5回に放った今季30号本塁打は、打球速度116.7マイル(約187.8キロ)、28度の理想的な角度で上がり、473フィート(約144.1メートル)も飛んだ。とはいえ場外本塁打にはならなかった。ドジャースタジアム特有の外野スタンドのギザギザの屋根に向かっていったが、わずかに屋根の下で、ダイソーの看板あたりに落下し、そこから場外に跳ねていった。打った本人もどこに落ちたか目視できない飛距離だった。

 ボールを手に入れたのは、ロサンゼルス在住でドジャースファンのジョン・クレーマーさん。外野席で試合を見ていたのだが、同じく21年から開場となった、スミス氏設計の場外のお祭り広場「センターフィールドプラザ」で何かを食べようとぶらぶら歩いていたらボールが飛んできた。「大型スクリーンに打席の大谷が映っていたから、見ていたら、大きな当たり。そのホームランボールが僕の頭を越えて落ちてきた。いい時に、いい場所にいた。本当にラッキー。今までホームランボールを手に入れたことはなかった」と感激していた。

 ドジャースタジアムの長い歴史で場外本塁打は6本、そのうち左打者によるものは2本ある。最長はピッツバーグ・パイレーツで2度本塁打王に輝き、通算475本塁打の左打者ウィリー・スタージェルである。69年8月5日、右翼の屋根の上を越え、508フィート(約155メートル)も飛んだ。ほかにはセントルイス・カージナルスのマーク・マグワイアの483フィート弾(約147メートル/99年)、ドジャースのマイク・ピアザの478フィート弾(約146メートル/97年)、フロリダ・マーリンズのジアンカルロ・スタントンの478フィート弾(2015年)、スタージェルの470フィート弾(約143メートル/73年)、サンディエゴ・パドレスのフェルナンド・タティス・ジュニアの467フィート弾(約142メートル/21年)である。

 試合後、大谷は「よかったです。甘い球でしたけど、その前の打席の感覚もよかった。いい感覚がいい結果につながると打席にいい影響が出てくると思う」と白い歯を見せた。

 そのうえでいつかは場外弾を打ちたいかと聞かれると、「そう願っています。もっともっと打てるように。まだチャンスはあると思うので、もっといい打球を打てるように頑張りたいと思います」と意気込んだ。ちなみに大谷の本塁打の最長弾は23年6月30日にエンゼルスタジアムで右越えに放った493フィート(約150メートル)である。

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著者プロフィール

  • 奥田秀樹

    奥田秀樹 (おくだ・ひでき)

    1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。

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