大粒の涙とともに封印した想い。
菊池雄星の「覚醒」はメジャーになる
15分間の記者会見を終え、その時点での思いを語り尽くした菊池雄星の目は真っ赤に染まっていた。ニキビが残るあどけない顔。その頬を伝う熱い感情は、今でも忘れられない。
「メジャーはひとまず封印して、『日本で』と決めた以上は、日本ですべてを出し尽くしたい」
花巻東高校時代の菊池がそう言って、涙をこぼしたのは2009年のことだ。一度は封印していたメジャーへの道。そして今年、ついに封印を解き、高校時代から抱いていた思いを現実のものにした。
シアトル・マリナーズと4年契約を交わした菊池雄星 ポスティングでメジャー挑戦を目指していた菊池の移籍先が、シアトル・マリナーズに決まった。しかし、ここまでの道のりは長く、険しいものだった。
「日本ですべてを出し尽くしたい」と語って入団したが、西武では苦しい日々を味わった。
過度な期待を注がれたプロ1年目は、左肩の故障もあって一軍では結果を残せなかった。期待が大きかった分、野球以外のことも含めて、メディアからバッシングを受けることになる。心が折れそうになった時期もあったに違いない。
純粋無垢とも言うべきか、菊池は真っすぐな感性の持ち主だ。時にはそのストレート過ぎる感覚や言動が誤解を招くこともあった。本来は、その感性こそが彼の魅力でありよさでもあるだのが......。
思えば、2009年の夏。左肩やヒジの違和感、さらに背筋痛も加わり、3番手で登板したものの、わずか11球で降板した甲子園の準決勝直後、菊池は大粒の涙を流してこう語った。
「自分を信じてマウンドに立たせてくれた監督さんや仲間の信頼に応えられなかった......。仲間のためだったら、もう一生野球ができなくなってもいいから投げ抜きたかった」
飾らない、偽りのない言葉だった。周囲への感謝の気持ちを忘れない。支えてくれる人々への熱い気持ちを持ち続けるところも、菊池の本質と言える。ゆえにプロ1年目の結果もそう、その後の数年も周囲の期待に応えられない歯がゆさは人一倍、感じていたに違いない。
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