メジャーデビュー「大谷翔平レベルの衝撃」は、これまでにあったのか? (3ページ目)

  • 福島良一●解説 analysis by Fukushima Yoshikazu
  • photo by AFLO

 そして1984年、満を持してメジャーデビュー。当時19歳ながら速球とカーブだけで三振の山を築き、「ドクターK」の異名を授けられます。当時のメッツの本拠地シェイスタジアムには「Kボード」が掲げられるようになり、これがブームとなって全米各地のスタジアムでも見られるようになりました。

 最終的にグッデンはナ・リーグ3位の17勝(9敗)、同2位の防御率2.60、そしてリーグトップで新人記録の276奪三振。文句なしで新人王に輝きました。また翌年の成績はさらに驚愕で、24勝4敗・防御率1.53・268奪三振。投手3冠に輝き、サイ・ヤング賞も受賞しています。

 1990年代に入って強烈に衝撃を受けたのは、ケリー・ウッドではないでしょうか。「史上最高の速球投手」ノーラン・ライアンに憧れて野球を始めたテキサス出身のウッドは、高校時代から豪腕で鳴らした若手有望株でした。1995年、ドラフト1巡目・全体4位でシカゴ・カブスに入団。ライアンと同じ背番号34を背負い、1998年に20歳でメジャーデビューします。

 すると、デビューから先発5試合目のアストロズ戦。ウッドはとんでもない記録を叩き出したのです。序盤から三振の山を築き、終わってみれば1試合20奪三振の大台を突破。同じテキサス州出身で「ロケット」の異名を持つロジャー・クレメンスが打ち立てた金字塔に並ぶ快挙を成し遂げました。

 その後もウッドは快投を続け、8月までに13勝をマーク。9月に右ひじを痛めて戦線離脱したものの、リーグ3位の223個もの三振を奪い、当時史上最高の1試合平均12.58奪三振を記録しています。

 最後に近年もっとも大谷選手級の衝撃だったと思うのは、やはりスティーブン・ストラスバーグのデビューでしょう。その衝撃度でいうと、私が見てきたなかで一番かもしれません。

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