リベラやボンズも虜に。日本人トレーナーの先駆者が見たMLBの裏側 (3ページ目)

  • 杉浦大介●写真・文 text & photo by Sugiura Daisuke

――実際に渡米に至る経緯は?

「メジャートレーナーズは、メジャーリーグのトレーナーと提携してインターンを派遣しているんですが、1997年に僕もそれに選ばれたんです。アスレチックス、マリナーズ、ジャイアンツ、パドレスという4球団を回らせてもらえました。ある選手が他の選手たちに『こいつのマッサージはすごくいい』と紹介してくれたんです。それが、僕のメジャーでの歴史の始まりでした」 

――しばらくは、フリーで仕事をされていたんですね。

「1997年からはドジャースタジアム、エンジゼルススタジアム、サンディエゴのスタジアムに顔を出して、仕事をさせてもらっていました。初めてチームに所属したのは、アスレチックスの監督だったアート・ハウがメッツの監督に就任した2004年のこと。松井稼頭央選手のメジャー1年目の年で、本格的にメジャーに足を踏み入れることができたと思ったのですが......。次の年にはハウがクビになり、自動的に私もクビになってしまったんです」

――メジャーの厳しさですね。その後、ロッキーズ、アスレチックスと渡り歩き、今では再びメッツに戻られています。 

「2005年はフリーでやっていたんですけど、2006年にロッキーズのヘッドトレーナーと再会し、スプリングトレーニングに招待されました。その時に、腰を痛めていたチームの看板選手であるトッド・ヘルトンにマッサージをしたんです。彼はその治療をすごく喜んで、『シーズン中もずっと見てくれないか』と言われました。ヘルトンがヘッドトレーナーや球団と直接話をしてくれて、それで僕が雇われたわけです。その後、アスレチックスに移籍し、2012年にメッツから戻ってこないかとオファーをいただき、今に至る流れです」

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