快進撃を続ける田中将大。「ルーキー20勝」の可能性
6月17日のトロント・ブルージェイズ戦でも好投を見せ、今シーズン11勝目をマークしたニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手。現在、14試合の登板で11勝1敗・防御率1.99。勝利数(ア・リーグ1位)、防御率(同1位)、そして奪三振数(113個/同2位)と、内容的に申し分ない成績を残しています。オールスターの約1ヶ月前だというのに、この数字は驚異的と言えるでしょう。このままのペースで勝ち続けると、「20勝」という大台も決して夢物語ではありません。そこで今回は、ルーキーで20勝の大台に達したメジャーの偉人たちを紹介したいと思います。
ハイペースで勝ち星を積み重ねているヤンキースの田中将大 過去をさかのぼってみると、1900年以降の近代野球において、ルーキーで20勝を挙げた投手は計11人います。ただ、そのほとんどは20世紀前半です。では、ざっと古い順から振り返ってみましょう。
まずひとり目は、シカゴ・カブスのジェイク・ワイマー(1903年~1909年/通算97勝69敗)という左投手です。「トルネード」の愛称で親しまれたワイマーは、デビューした1903年に20勝8敗を挙げ、翌年も20勝14敗をマークして2年連続で大台突破を記録しています。そしてふたり目は、ニューヨーク・ハイランダース(現ヤンキース)のラス・フォード(1909年~1915年/通算99勝71敗)という右腕。1909年に1試合だけ登板したフォードは、翌年の1910年、不正投球の一種であるエメリーボール(※)を武器に26勝6敗をマークし、翌年も22勝11敗を残しました。
※エメリーボール=砂や爪などで傷をつけてボールの軌道を大きく変化させる投げ方。
3人目はクリーブランド・インディアンスのビーン・グレッグ(1911年~1925年/通算92勝63敗)という左腕です。グレッグはデビューした1911年に23勝7敗という好成績を残し、防御率1.80はリーグトップ。その後、1912年、1913年ともに20勝13敗で3年連続20勝以上をマークしました。また、1912年には、シカゴ・カブスのラリー・チェニー(1911年~1919年/通算116勝100敗)という右投手もルーキーシーズンに26勝10敗を挙げています。チェニーはこの年、最多勝のタイトルも手にしました。その後、1913年に21勝14敗、1914年に20勝18敗と、チェニーも3年連続で20勝以上を記録しています。このように、1900年代から1910年代にかけては、頻繁にルーキー20勝投手が生まれていました。
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プロフィール
福島良一 (ふくしま・よしかず)
1956年生まれ。千葉県出身。高校2年で渡米して以来、毎年現地でメジャーリーグを観戦し、中央大学卒業後、フリーのスポーツライターに。これまで日刊スポーツ、共同通信社などへの執筆や、NHKのメジャーリーグ中継の解説などで活躍。主な著書に『大リーグ物語』(講談社)、『大リーグ雑学ノート』(ダイヤモンド社)など。■ツイッター(twitter.com/YoshFukushima)