【MLB】37歳・松井秀喜も続け。マイナーから這い上がった名選手列伝。 (2ページ目)

  • 福島良一●解説 analysis by Fukushima Yoshikazu
  • photo by AFLO

 ゴールドグラブ賞に3度も輝くなど、インカビリアと同じくエリート街道を歩んできましたが、そんなオルルドにも衰えが見え始め、2004年7月にマリナーズを戦力外。そしてヤンキースを経て、2005年5月にボストン・レッドソックスと契約した際、初めてマイナー生活を味わうことになります。しかし、オルルドは3Aのポータケット・レッドソックスで結果を出し、メジャーへと再び返り咲きます。そして87試合に出場し、打率.289・7本塁打・37打点と衰えを感じさせない活躍を見せてくれたのです。

 また、マイナー契約からの復活劇ではないのですが、ダリル・ストロベリーとホセ・カンセコも、厳しい世界から舞い戻って復活した選手でしょう。ストロベリーは1980年ドラフト全体1位でメッツに入団し、メジャー1年目の1983年に26本塁打を放ってナ・リーグ新人王を獲得。以来9年連続25本以上のホームランを打つなど、リーグを代表するスラッガーとしてスターの地位を築きました。しかし、アルコール依存や麻薬依存が発覚し、チームを転々とすることに。1995年7月にヤンキースと契約したものの、すぐに解雇されました。

 しかし、ストロベリーはあきらめずに、1996年、アメリカ独立リーグのセントポール・セインツと契約します。すると、同年7月に再びヤンキースから声がかかり、メジャーの舞台に復帰。そして63試合で11本塁打・36打点と活躍して地区優勝に貢献し、プレイオフでも1試合2ホーマーを放つなどの大活躍で、ワールドシリーズ制覇の一員となったのです。後日、ストロベリーが「マイナー(独立リーグを指す)でプレイした経験は、大きな意味があった。野球のもつ楽しさを取り戻すことができた」と語っていたのを思い出します。

 一方、1986年にオークランド・アスレチックスで33本塁打を放ち、新人王を獲得したホセ・カンセコも同じような経緯を辿りました。1988年にはホームランと打点の二冠王に輝き、さらにメジャー史上初となる『40本塁打・40盗塁』の快挙を達成してMVPに選ばれるなど、一躍スーパースターの仲間入りを果たしました。しかしその後、腰痛などのケガに泣き、私生活でも離婚騒動や拳銃不法所持など、次々と問題を起こしてチームを追われるハメに。2001年のシーズン開幕前にはエンゼルスを解雇されてしまいます。しかしカンセコも、独立リーグのニューアーク・ベアーズから再起を誓い、そこで好成績を残して6月にホワイトソックスと契約するまでに至りました。ホワイトソックスでは76試合に出場し、16本塁打・49打点をマーク。カンセコもどん底から這い上がった選手のひとりと言えるでしょう。

 このようにメジャーの長い歴史では、いろんなベテランスター選手が厳しい立場からカムバックしています。松井選手の経験も、必ずレイズで生かされるでしょう。再びメジャーで活躍してくれることを信じています。

プロフィール

  • 福島良一

    福島良一 (ふくしま・よしかず)

    1956年生まれ。千葉県出身。高校2年で渡米して以来、毎年現地でメジャーリーグを観戦し、中央大学卒業後、フリーのスポーツライターに。これまで日刊スポーツ、共同通信社などへの執筆や、NHKのメジャーリーグ中継の解説などで活躍。主な著書に『大リーグ物語』(講談社)、『大リーグ雑学ノート』(ダイヤモンド社)など。■ツイッター(twitter.com/YoshFukushima

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