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【高校野球】PL学園の厳しい寮生活を平石洋介と上重聡、今江敏晃が振り返る 「経験として体に刻まれている」 (2ページ目)

【眠れない日々、そして親への感謝】

上重 寮生活でもっとも過酷だったことは何ですか。

平石 やはり『眠れないこと』ですね。やることが多かったです。朝は4時、5時に起きて、付き人として担当の先輩の朝食を用意して、洗濯物をきれいに畳んで枕元に置いて、起床時間には整った状態。夜もやることが山積みで、ボールを磨いたり、練習の片づけを手伝ったり。

今江 そういう生活のなかで、野球が二の次になってしまうという感覚はありました。

上重 よかった点があるとすれば、親の大変さがわかったことですかね。

平石 そうですね。それまでは食事も洗濯も当たり前だと思っていました。

今江 平石さんと、上重さんの代であったかわからないのですが、僕らの代では寮生活が始まって1、2週間あたりのツラくなってきたタイミングで、親からの手紙が配られたんです。みんな手紙を読みながら号泣していました。

上重 刑務所の話じゃないですよね(笑)? でも、すごくいいですね。変な話、外との連絡が手紙しかないんですよね。

今江 両親や中学時代の友人からのメッセージが本当に支えでした。みんな大切に保管していて、落ち込んだときに読み返すと元気がもらえました。本当に両親への感謝の気持ちがそこで芽生えましたね。

【厳しさの中に宿る"個性"と"最強世代"】

上重 今江さん、寮生活で印象に残っていることはありますか?

今江 下級生の時は先輩のことをやらないといけないし、上級生になっても後輩のことを考えたり、チームのことを考えていて、正直野球に集中はできていなかったと思います。プロに入って、自分のことだけに集中できた時、「PL学園時代はつらかったんだな」と思いました。

平石 学生時代は、まじめだったもんね。僕は同志社大学に進学して、関西にいたからよくPL学園に帰っていたんだけど、あの時の今江はめちゃくちゃ真面目でしたよ。

上重 今江さんの代は、清原和博さん、桑田真澄さんの代に匹敵するくらい「PL史上最強世代」とも呼ばれていたそうですね。

平石 卒業後にPL学園に行ってバッティングピッチャーをしたこともあるんですが、プロへ行った選手だけでなく、大学や社会人へ進んだ選手も含めて打力が際立っていました。

今江 平石さんは手伝いに来てくれていて、僕はもっとフランクに話しかけたいという気持ちはあったんです。でも、キャプテンという立場もあって、周りの目もあるのでちょっと距離を取っていました。

 上重さんは、たまに来てバッティングピッチャーをしてくれるんですけど、つねにふざけていました(笑)。愛の鞭だったかもしれないですけど、後輩が気持ちよく打ちたい時に、変化球とか投げてくるんです。当時、六大学野球で活躍していた上重さんの変化球なんか打てるわけもなくて、こちらのバッティングが詰まると、めちゃくちゃ笑っているんです。

平石 性格が悪いなぁ(笑)。

上重 いやいや、もっと上を目指してほしいという愛の形ですよ(笑)。

今江 ありがとうございます(笑)。

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