【高校野球】創部10年目の甲子園初出場がすべてを変えた 健大高崎・青栁監督が語る「機動破壊」はこうして生まれた (2ページ目)
戦前の願望とは裏腹に、試合は5回を終え、5点をリードされる苦しい展開となった。かつての弱小時代なら、とっくに瓦解していた場面である。
しかし、選手たちはあきらめなかった。6回に5本の長短打を絡めて同点に追いつく驚異的な粘りで柳をノックアウト。惜しくも延長10回に力尽き、5対6でサヨナラ負けを喫するが、全国の高校野球ファンに「KENDAI」の名を強く印象づけた。
「あの試合はあきらめなかった選手たちの頑張りに尽きます。以前なら途中であきらめていたと思いますが、だんだんとそういった粘り強いチームに変わってきたなと思います」
【怒鳴ってやらせる指導からの脱却】
翌2012年春の選抜では2季連続で甲子園に出場してベスト4進出。2014年夏からは3季連続(うちベスト8が2度)、2017年選抜にも出場してベスト8に進むなど、チームは黄金期を迎えたかに見えた。
だが、そこから数年間、甲子園の舞台から遠ざかることになる。とくに夏は2015年に出場して以降、群馬大会決勝で6度も敗戦(2020年の独自大会含む)。2013年夏の甲子園王者の前橋育英の壁を越えることができず、「健大は夏に勝てない」という不名誉なレッテルまで貼られた。
「簡単に勝てるようになってしまったという慢心、勘違いが、私自身にも、選手たちにもありました。勝負の世界はそんなに甘くない。もう一度、自分を戒める必要がありました」
青栁監督は行動を起こした。練習後に飲みの誘いがあっても、食事だけで切り上げ、必ず夜10時には寮に戻るようにして、選手一人ひとりと向き合う時間を圧倒的に増やした。
「まずは選手たちとしっかり会話をして、野球ノートを細かく書かせるなど、コミュニケーションの機会を増やしました。野球の時だけはいい子でも、学校での生活態度やマナーが悪ければ、たとえレギュラーであっても容赦なくベンチから外しました。戦力は落ちますが、そこを徹底しないと、本当の意味で強い組織にはなれません」
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