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【夏の甲子園2025】横浜が見せた誇りと粘り、県岐阜商と織りなした珠玉の2時間42分 名勝負はいかにして生まれたのか (3ページ目)

  • 氏原英明●文 text by Ujihara Hideaki

 県岐阜商の4番・坂口の打球は一塁寄りのセカンドゴロとなる。この時、一塁手の小野も打球を追い、その際に足を滑らせた。すると捕球した二塁手の奥村凌は一塁には目もくれず、二塁へ送球してアウトにしたのだ。視野が広くないとできないプレーだ。試合後、奥村凌は次のように説明した。

「足を滑らしたところまではわからなかったのですが、ベースを離れているのは見えたので、間に合わないだろうなと思いました」

 緊迫した場面で、こんなプレーができる。これも横浜の強さだとあらためて思い知らされた。

【敗因は3点のリードを守れなかったこと】

 試合は延長タイブレークに入ったが、両チームの攻防は続いた。

 先攻の横浜は10回表、為永が送りバントを試みると、これを投手の柴田が三塁へ悪送球。1人が生還して、なおも無死二、三塁。ここで3番・阿部がセンターへ弾き返して2点を追加。この回3点を取り、この試合初めて横浜がリードを奪った。

 だが、県岐阜商も粘る。その裏、先頭の5番・宮川鉄平がヒットを放つと、6番・小鎗稜也が走者一掃の二塁打を放ち同点。なおもサヨナラのチャンスをつくったが、ここでも横浜が踏ん張り、同点のまま延長11回に突入。

 そして11回、横浜の攻撃が無得点に終わったのに対し、県岐阜商は二死から4番・坂口がレフトへ弾き返し試合を決めた。

 試合後、敗因を聞かれた村田監督はこう語った。

「3点リードを追いつかれたこと。そこがすべてだったかなと思います。絶対に守らなければいけなかった」

 16安打を浴びせてきた県岐阜商の前に、耐えるばかりだった横浜。しかし、4点ビハインドから好走塁などで追いつき、絶体絶命のピンチで見せたスーパープレーの数々が、珠玉の名勝負を生んだのだろう。言い換えれば、横浜にしかできない試合だったとも言える。

 村田監督が続ける。

「9回裏の奥村のプレーの時、ファーストが転んでいるのを見て、セカンドでアウトを取ったと思うんですけど、アウトの取り方はひとつじゃない。そういったいいプレーが出たから、やっぱり勝たなきゃいけなかったと思うんですけど......相手が強かった。あれ以上は守れなかった。選手たちは精一杯やってくれました」

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