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幻に終わった「5季連続甲子園出場」と「松井秀喜超え」 内山壮真が語った失われた夏 (2ページ目)

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki

 この秋の星稜は荻原吟哉、寺西成騎(現・オリックス)の投手陣がいて、北信越を制覇。翌春のセンバツ出場を確実にし、内山自身も4試合で17打数8安打8打点と打ちまくっている。ちなみに、北信越大会の決勝で1点に抑えられた日本航空石川の中村隆監督は、「内山は、頭、いいっすよ」と配球面についても太鼓判を押していた。

【高校最後の夏はコロナ禍で中止】

 だが......2020年、コロナ禍である。内山には4季連続甲子園出場という記録は残ったが、夏の大会も中止になり、5季連続出場に挑戦することさえできなかった。「せめて甲子園の土を踏ませてやりたい」という関係者の尽力で、センバツ出場チームによる甲子園交流試合の開催が決まった頃、内山に電話で話を聞いたことがある。

「交流試合開催を聞いた時、最初はビックリし、うれしく感じましたが、やはり5季連続出場したかったので、そこは悔しいです。活動休止の期間は富山の実家の敷地内でトレーニングや素振り、兄(雄真さん)とキャッチボールなどをしながら、最後の夏にも連続出場して、優勝するという気持ちで過ごしていました。だから選手権の中止は、今までのすべてを奪われたように感じるほど、悔しかった」

 それでも、主将として部員とはLINEでコミュニケーションを取っており、6月8日の練習再開日、久々に顔を合わせた仲間たちが元気そうで安心したという。

「いまの仲間と野球ができる期間は限られているので、最後の大会で力が発揮できるようにしっかり準備したい。入学して以来県では負けていないので、最後も優勝して終わりたいです。甲子園の交流戦では、"ここ"というチームはないですが、去年春夏に対戦した履正社だったらおもしろいですね」

 最後の石川県独自大会は残念ながら、決勝で日本航空石川に1対2で敗戦。内山の入学以来、石川県で敗れたのはこれが初めてだった。そして......甲子園交流試合では、まさかの履正社との再々戦が実現。

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