幻に終わった「5季連続甲子園出場」と「松井秀喜超え」 内山壮真が語った失われた夏 (3ページ目)
もうひとつ残念ながら、ここでも1対10と大敗し、内山の高校野球は幕を閉じることになる。高校通算34本塁打(うち公式戦11本)。もしコロナ禍がなく、通常に試合をこなしていれば、星稜の偉大な先輩・松井秀喜の60本を超えていたかもしれない。
【空手で鍛えた体幹の強さとキレ】
思い出すのは、1年秋の北信越大会だ。星稜打線の9人中、内山ともう1人の上級生だけが、相手投手のリリースよりもかなり早めにフリーフット(右打ちの内山なら左足)を上げていた。これは「できるだけ早くタイミングを取り、自分の間でボールを見る」(林監督)ための星稜メソッドで、体得には時間がかかる。だが内山は、1年時からすでにこの打撃フォームをモノにしていた。
じつは内山の父・彰博さんは19年、アジア・オセアニア空手道選手権大会で優勝するなど、数々のタイトルを獲得する空手家で、上市町で道場を開いている。内山も、2歳から道場に通い、小学校4年では、全国大会の16強に入ったこともある。
小学校5年生まで続けたその空手のおかげで、「体幹の強さや体のキレが身についたと思います。空手は止まっては動く、止まっては動くという競技で、静から動が多いですから、力の出し方はバッティングと似ている」と内山。この体幹の強さと俊敏性、そして自然に養われた動態視力があるからボールを長く見られるし、力強いスイングで広角に強い打球を打ち分けられるというわけだ。
もっとも、小学校3年からは祖父・高山鐵男さんが監督を務める滑川東部スポーツ少年団で野球を始め、空手家ではなくプロ野球選手が目標になったから、彰博さんにとっては少し複雑かもしれない。目標が現実になるのは、2020年11月12日。ドラフト会議で、ヤクルトが内山を3位指名したのだ。
内山に話を聞きに出かけたのは、その指名から数日後のことだった。まずは、入学後すぐに定位置を獲得した高校進学時をこう振り返った。
「高校に入って軟式から硬式に変わっても、すぐに慣れました。そもそもバッティングは、軟式より硬式のほうが簡単なんです」
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