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高校時代に「坂本勇人二世」と呼ばれた増田陸が変わった日 社会人の内定を蹴ってプロを目指したあの夏の本気 (2ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka

【大舞台になると燃えるお祭り男タイプ】

 もともとはプロ志望。「なぜ、ここで安泰を求めるのか?」と、そんな疑問から投げかけた言葉だった。本人は「まぁ、そうっすね」という感じだったが......。

 関東大会、甲子園での活躍が証明するように、当時の増田は大舞台になると燃え、元気よくプレーする"お祭り男"。ゆえに勢いに乗ると強いが、そうでない時はからっきし。第1打席の結果によって、その後の結果も決まるようなところがあった。

 また、金沢監督いわく「イノシシみたいなヤツ」。甲子園初打席の三塁打の際は、相手の中継が乱れたのを見て、まだノーアウトだったにも関わらず、無理やり本塁に突っ込んで悠々アウトになっている。熱いのは長所だが、熱くなりすぎて周りが見えなくなることがあった。

「成長するためには、そういうところから直さないと」という筆者の言葉に、メラメラと燃えてきたのだろう。その取材の最後にはこう言っていた。

「甲子園でのミスは焦りです。余裕がなかった。欲が出てしまい、状況判断や準備がなかった。周りを見てやるようにしないといけない。バッティングも"フェン直"ばっかりで悔しかった。スピンティーを使ってボールの下を叩いて、打ち上げて飛ばす練習をしています。夏はホームランを3本打ちたい。第1打席のことも、もっと真剣に考えてやります」

【退路を断ち進路をプロ一本に】

 そして、夏。増田の変化は明らかだった。社会人に断りを入れ、進路をプロ一本に変更。

「準備の意識を変えました。練習のキャッチボールから抜かないでやるようにしました」

 その成果が数字として表れる。夏の茨城大会では警戒され、ボール球が多くなった。それまでは打ちたい気持ちが強すぎて、悪球に手を出すことが多かったが、我慢した。

 その結果、初戦は3安打1本塁打、2戦目は3安打2四球。3戦目の第2打席で凡退するまで10打席連続出塁。春の関東大会から通算すると県記録を更新する公式戦12打席連続出塁だった。

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