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織田翔希だけじゃない! 選抜優勝に貢献した横浜の2年生・池田聖摩は「野球と陸上の二刀流」で鍛え上げた異色の遊撃手 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

 池田は映像をとおして大石さんの存在を知ったという。

「横浜のショートといえば、1年生から甲子園に出ていた大石さんが思い浮かびました。横浜は子どもの頃から大好きで、ずっと憧れてきたんです」

 断っておくが、池田は神奈川県出身ではない。遠く離れた熊本県で生まれ育っている。それでも、父・祐一さんが横浜のファンだった影響もあり、いつしか池田も「横浜一本」と言いきるほど夢中になった。

 小学2年時には横浜が招かれた地元の高校の招待試合を観戦。甲子園球場に足を運び、横浜の試合を応援したこともある。

 小学生時にはソフトバンクジュニアに選ばれ、熊本中央ボーイズに在籍した中学時代は侍ジャパンU−15代表に選ばれた。エリート街道をひた走り、横浜への進学を勝ち取っている。

【投手としても最速145キロ】

 そんな池田だが、野球以外の分野でも大きな実績を残している。6歳から陸上競技を始め、中学ではジャベリックスロー、走り幅跳び、三段跳びの3競技で熊本チャンピオンに輝いている。野球と陸上、かなりパンチの効いた二刀流である。

「父は中学まで陸上と野球をやって、高校からは陸上に専念したんです。父から『野球に生きるから』と言われて、信じて陸上をやってきたことが、いま結果につながっているのかなと感じます」

 最初は短距離走から始めたが、次第に「跳躍が楽しい」と走り幅跳びや三段跳びにシフト。中学1年からジャベリックスローを始めた。ジャベリックスローとは、羽根つきの投擲物(ターボジャブ)を投げる距離を競う、やり投げにつながる競技である。

「最初は全然飛ばなくて、練習を重ねて全国大会に出られるまでになりました」

 池田が記録した72メートル55は、熊本県の歴代最高記録である。中学2、3年時には全国大会に出場し、2年時は5位に入っている。

 ジャベリックスローを経験したことで、池田のスローイングはますますレベルアップした。

「ジャベリックスローは肩甲骨を使って投げるので、野球に通ずるものがあります。ジャベリックスローをやってなかった時と比べて、ボールの伸びが違います」

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