【甲子園の記憶】元仙台育英の準優勝メンバー「あづま寿司」店主が語る35年前の夏 エース・大越基、拾い集めた土、帝京との死闘...

  • 楊 順行●文 text by Yo Nobuyuki

 目の前に置かれた『定位置 セカンド 甲子園』と置かれたガラス容器は、インスタントコーヒーの空き瓶くらいの大きさで、その中に細かい土が入っている。

「自分の定位置あたりの土です。大越は閉会式のあとに監督に断って、マウンドの土を堂々と集めていましたけど、自分はそこまでの選手じゃなかったので......(笑)。あの夏、守備につくごとに少しずつポケットに入れて拾い集めていました」

 村上重寿さんは、「試合中にそんなことをやっていたら怒られますけど、もう時効ですよね」と笑う。現在は、宮城県仙台市青葉区一番町にある『あづま寿司』の主人(あるじ)である。

1989年夏の甲子園で準優勝に輝いた仙台育英の選手たち photo by Sankei Visual1989年夏の甲子園で準優勝に輝いた仙台育英の選手たち photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【35年前の夏の甲子園】

「あの夏」とは1989年、平成元年のことである。エース・大越基(元ダイエー)を擁した仙台育英(宮城)は、快進撃を続けた。センバツでは,元木大介(元巨人)のいた上宮(大阪)に敗れてベスト8だったが、圧倒的な強さで宮城を制した夏は、その上宮に準々決勝で雪辱し、準決勝は延長10回、尽誠学園(香川)に競り勝つ。そして帝京(東東京)との決勝に勝てば、東北勢悲願の全国制覇に手が届く。その仙台育英で、セカンドを守っていたのが村上さんだ。

 中学時代は黒松(現・宮城黒松利府)シニアでキャプテンを務め、全国大会も経験した。その中学時代にテレビの特集番組で見た板前に憧れ、高校卒業後は東京・築地で板前修業。当時、仙台育英の監督を務めていた竹田利秋氏が、ツテをたどって探してくれた先だ。30歳まで下積みを続け、『あづま寿司』を開店したのは2003年2月1日。村上さんは言う。

「竹田先生は『野球を続ける同級生の大学、社会人の進路より、おまえの店を探すのが一番大変だった』と。感謝しています」

 暖簾(のれん)をくぐると、仙台育英のユニフォーム、各校のペナントやパネル、タオルなど高校野球を中心に、関連グッズがにぎやかに壁を飾る。甲子園のDVDも、年代を問わずズラリ。それを眺め、新鮮な海の幸と美酒を楽しみながら、野球談義に花を咲かせる。

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