甲子園で登板した歴代ナンバーワン長身投手 大谷翔平、ダルビッシュ有、藤浪晋太郎をおさえた1位は?

  • 戸田道男●文 text by Toda Michio

 今夏甲子園でベスト8進出の東海大相模は198センチの長身左腕・藤田琉生がエースを務め、初戦、2戦目とも先発マウンドを任されて好投を見せた。長身からの角度を生かすため「決め球の変化球をずっと模索してきた」と言い、最後の夏を迎える前にマスターしたナックルカーブが飛躍の原動力になった。

 夏の甲子園で更新したMAX149キロは、昨今の高校球界では決して驚くほどではないが、なにしろ長身から投げ下ろす角度が最大の武器で、198センチは歴代の甲子園出場投手の中で最長身記録だ。

大阪桐蔭時代は身長197センチだった藤浪晋太郎  photo by Okazawa Katsuro大阪桐蔭時代は身長197センチだった藤浪晋太郎  photo by Okazawa Katsuroこの記事に関連する写真を見る 資料で判明する限りでは、これまで甲子園で登板した投手の最長身記録は2012年春夏連覇の大阪桐蔭・藤浪晋太郎(メッツ)と2019年春に出場した札幌大谷・阿部剣友(元巨人)の197センチだった。

 藤田はこのふたりを1センチ上回る。なお、札幌大谷・阿部は控え投手だった2年時の2019年春のセンバツに出場して、2回戦の明豊戦で先発登板。3年時は200センチになっていたが、新型コロナのため春夏とも甲子園大会は開催されず。「記録更新」の機会は巡ってこなかった。

 1972年春のセンバツで優勝した日大桜丘のエース・仲根正広(元近鉄ほか)が190センチの長身で「ジャンボ仲根」の異名をとり、「甲子園優勝投手の最長身記録」と話題になった。

 甲子園球児の体格向上が著しく進み、190センチ台の投手が珍しくなくなってくるのはこの頃から。横浜・永川英植(元ヤクルト)は73年センバツ優勝時に188センチだったが、翌74年センバツ出場時は190センチ、77年センバツ準優勝・中村の山沖之彦(元オリックスほか)は191センチ、79年夏ベスト4の横浜商・宮城弘明(元ヤクルト)は193センチなど続々と登場した。

 それから約50年の時は流れ、歴代の長身投手ランキングは次のとおり。

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著者プロフィール

  • 戸田道男

    戸田道男 (とだ・みちお)

    1961年岩手県一関市生まれ。明治大学卒業後、東京スポーツ新聞社で4年間野球担当記者を務めたのち、ベースボール・マガジン社入社。週刊ベースボール、ベースボール・クリニックほか野球関係の雑誌、ムックの編集に携わる。2011年に同社を退職し、同年から2021年まで廣済堂出版発行の「ホームラン」編集を担当。現在はフリーランスの立場で野球関連の編集者&ライターとして活動中。

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