北筑高校に脈々と受け継がれる今永昇太の教え 「甲子園に出ることが最高の恩返し」 (3ページ目)
今永昇太から寄贈された侍ジャパン時に使用したバッグ photo by Uchida Katsuharuこの記事に関連する写真を見る そんな先輩に憧れて入学してくる後輩も多い。北筑は入学時に自分の好きな「選手番号」を選び、3年間を過ごす。今永の代名詞とも言える「21」は、内野手の高橋漣(2年)がつけている。
「自分が選手番号を決める時に21番が空いているのを知って、やはり北筑高校の先輩である今永先輩がつけられていた番号なので、自分も高校で偉大な選手になれるように、とつけました」
今永と同じ左投手の橋本陽向(ひなた/2年)は、野手もこなす二刀流だ。最速125キロの直球を丁寧にコーナーに投げ分け、ケース打撃で好投を見せていた。
「今永先輩を意識はしていないですが、憧れはあります。この夏は投げる回数は少ないと思うので、野手で出場してバッティングで活躍して注目されるように頑張りたいです」
夏の大会へ向けてチームを鼓舞する藤井晴琉(はる)主将(3年)は、今永から受け継がれる教えを大切に、日々の練習で自らを追い込んでいる。
「今永さんは憧れというか、尊敬する存在です。高校時代、自主的に自分の身になる練習に取り組んでいたということなので、自分たちでメニューを考えて、それを練習のなかでやっています。夏の大会は(昨年準優勝校の)東筑と戦って勝ちたいです」
北筑は、今永が卒業したあとの2014年夏の福岡大会で準優勝したのが最高成績で、1978年の創立以来、甲子園に出場したことはない。まだ見ぬ聖地の土を踏むことが、偉大な先輩への最高の恩返しとなる。安部監督が今夏の意気込みを語る。
「去年も一昨年もシードを取って夏の大会に臨ませていただいたのですが、今回はノーシードという形なので、目標はもちろん甲子園出場ですけれど、まずは1戦1戦、目の前の試合をしっかりと勝ち抜いていきたいです」
海の向こうで大活躍する先輩のように激戦区の福岡で白星を重ね、その偉大な先輩に吉報を届けられるか、注目の戦いが始まる。
著者プロフィール
内田勝治 (うちだ・かつはる)
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう
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