北筑高校に脈々と受け継がれる今永昇太の教え 「甲子園に出ることが最高の恩返し」 (2ページ目)

  • 内田勝治●文 text by Uchida Katsuharu

今永昇太も投げ込んだという北筑高校のブルペン photo by Uchida Katsuharu今永昇太も投げ込んだという北筑高校のブルペン photo by Uchida Katsuharuこの記事に関連する写真を見る 自身は大学を卒業後、保健体育科の教師となり、2021年に北筑へ赴任。2022年から監督に就任した。

「監督業自体が初めてだったので、最初はサインの出し方もすごく戸惑いました」

 それでも今年で3年目を迎え、指導や采配も板についてきた。今永がいた頃のユニホームとデザインこそ変わったが、「HOKUCHIKU」の誇りは、先輩たちから脈々と受け継がれている。

「今永さんが当時やっていたピッチャーのトレーニングメニューは、当時監督をされていた井上勝也先生(現・香住丘高監督)が1から10まで全部教えて、というよりは、自分で調べたものを継続的にやっていたらしいです」

 今永は高校時代、ウエイト器具に頼らず、鉄棒での懸垂や、綱がついたトラックのタイヤを引き寄せたりするトレーニングで、背筋を主とした体幹周りを強化していたという。設備面で限界のある県立高ゆえの工夫で、特徴的な左腕のしなりを最大限に生かす土台をつくり上げていった。

「ウチは原始的な練習を結構やるほうだと思います。トレーニングルームがグラウンドからちょっと離れた場所にあり、どうしても指導者の目が届きません。いっぺんにできるほど器具も揃っていないので、なるべく目が届くグラウンドのなかで一斉にできる自重系のメニューをやることが多いです」

【母校への感謝】

 今永自身、自身を育ててくれた母校への感謝を忘れることはない。DeNA入団1年目の2016年に内野を照らす照明器具を、昨年WBCで世界一になった直後には、侍ジャパンのユニホームや使っていたリュックサック、キャリーケースなどを寄贈した。

「使ってください、ということで送っていただきました。本来ならば飾っておくものでしょうけど、今永さんがそうやって言ってくださっているので、キャリーケースはキャッチャー道具を入れるケースとして使わせていただいています」

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