「履正社は大丈夫か?」と不安の声も。名将・岡田龍生のあとを継いだ新指揮官の思い (2ページ目)

  • 谷上史朗●文・写真 text & photo by Tanigami Shiro

 体重60キロに満たないエースが7試合をひとりで投げ抜き、わずか5失点。一方の打撃陣は、打率.268、0本塁打ながら30犠打と手堅い野球で、守ってもノーエラーの堅守で連日の1点差ゲームをものにした。この戦いが、多田の気持ちにスイッチを入れた。

 もっと高校野球をやりたい──高校時代に描いた指導者への思いが再燃。相談した岡田からも背中を押され、心は決まった。

受け継がれた「岡田イズム」

 仕事と2つの野球の間に猛勉強の生活を4年続け、教員免許を取得。26歳になる年の春から、履正社野球部卒としては「たぶん初めて」という教員になり、教壇に立った。

 そこから非常勤として桜宮高校で5年。最初の2年は野球部でコーチを務め、3年目からは桜宮で授業が終わると履正社に移動し、野球部の練習を手伝った。桜宮は岡田が履正社の前に勤務していた公立校であり、そのつながりを生かし、多田が動きやすい環境をつくってくれた。

 履正社の野球部に正式に関わったのは、T−岡田(オリックス)の卒業の翌年、土井健大(元オリックス、巨人/現・東大阪大柏原高校監督)がキャプテンの2006年から。

「岡田先生の教えを一番聞いてきたのは、自分だという気持ちはずっと持っていました」

 もちろん、野球については数えきれないほど多くのことを学んだが、監督となり、より強く思い出すのは野球以外のことだ。

「岡田先生は、僕が現役の頃からミーティングになると、8〜9割は野球以外の話でした。『人間性がよくならないと技術も積み上がっていかへんぞ』『学校生活がしっかりできないヤツは社会に出ても苦労する。そこがあっての野球。一事が万事やぞ!』と。そこはずっと変わらず言われていて、いまあらためてその部分が大事だと、僕も繰り返し生徒に伝えるようになっています」

 監督となり、生徒たちとより密にコミュニケーションをとるようになったという。

「一方通行にならないように、生徒らには試合中でも思うことがあったら、どんどん言ってきてくれと伝えています。コミュニケーションを密にして、信頼関係を築いていかないと、いい言葉を言っても入っていかないですからね。僕と選手の間だけでなく、選手同士でもコミュニケーションがとれるチームになろうとやってきました」

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