大島高校野球部に欠かせない3人の島外出身選手。なぜ彼らは奄美大島へとやって来たのか? (3ページ目)

  • 菊地高弘●文・写真 text & photo by Kikuchi Takahiro

 もともと島に好意を抱いていたこともあり、学校生活も寮生活もすぐに溶け込んだ。粟飯原は「関西の子はガツガツくるけど、島の子は気が優しくて、目配り気配りをしてくれる」と同級生の気質の違いについて語った。

 そんな粟飯原も今では関西弁は影を潜め、島の方言を使いこなしている。「関西の雰囲気がしないですね」と感想を伝えると、粟飯原は「よく言われます」と笑った。心からうれしそうな表情だった。

「よそ者ということで嫌な思いをしたことは1回もありません。野球部の練習でキツいことはいっぱい経験しましたけど、好きな島で野球ができて最高な体験ができました。高校で野球から離れようと考えているんですけど、島でやりたいことはまだまだたくさんあります。釣りとか海遊びとか、宇検村のばあちゃんの家でゆっくりするとか。自分で言うのもなんですけど、じいちゃん、ばあちゃんも(自分のこと)相当好きですから」

 島で生まれ育った者同士の学校生活は濃密な人間関係をつくりやすい反面、コミュニティが限定され閉鎖的になりやすい弊害もある。島外生はそんな関係に刺激を与える存在になる。

 2019年度主将の赤崎太優(現・日本福祉大)と2020年度主将の藤本涼也(現・専修大)は、ともに鹿児島県鹿屋市出身だった。塗木哲哉監督は島外生効果について、このように語る。

「赤崎も藤本も野球に対して厳しい目線を持っていました。『こんなんじゃ鹿児島じゃ通用しない』と厳しい言葉を平気で言ってくれて。島の子同士だとなあなあになりがちなところで、彼らが厳しさを植えつけてくれました」

 人口が減少している離島の高校では、単独チームを組むことが困難になりつつある。2002年夏には91チームが参加した鹿児島大会も、今夏は64チーム(連合チームを含む)まで減少した。過疎化が進む地域では同様の現象が起きている。

 そんな背景があるなか、大島高校は離島の選手たち、離島にやってきた選手たちでも甲子園の土を踏める可能性を示した。その意味は限りなく大きいはずだ。

(つづく)

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