「今日先発するのは間違いだった」。近江・山田陽翔の孤軍奮闘から何を学ぶべきか。対照的だった浦和学院との起用法 (3ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

「降板した理由は、これ以上、チームに迷惑をかけるわけにはいかないなと。真っすぐが130キロも出ないのがわかっていたので。前の日に170球投げていたし、ボールにうまく力を伝えることができていなかった。2回が終わってベンチに下がった時、星野(世那/2番手投手)に『キャッチボールしてくれ』と伝えました」(山田)

 ここでの一番の問題は、監督が交代の指示をしたわけではなく、山田が自らの意思でマウンドを降りたことだ。もし山田が自分で決断しなければ、まだしばらくは投げ続けることになっていただろう。山田の投げるボール、絶対的エースが痛打される様子を見ても、多賀監督は降板指令を出せなかった。山田が自らマウンドを降りたことで、多賀監督も事の重大さに気がついた。

「結果的には、今日の先発は無理だった。回避すべきやったと思います。ここまで来たんで、何とかという気持ちだった。彼の今後、将来を見据えた時に、今日先発するのは間違いだった。大黒柱の責任感で先発を志願してくれたんですが、昨日170球投げての今日でしたから。そこは私が、本人が志願しても判断をすべきだった」

対照的だった浦和学院の起用法

 リーダーの最大の仕事は、判断することではない。決断することだ。たとえ意見が1対9でも、1を選ぶ。それができるのは、チームを任されている指揮官しかいない。ましてや、夏にこんなことがあったのだから。

「夏は(2回戦の)大阪桐蔭戦のあと、痛み止めを飲みながら投げていた。それも大会が終わってから知ったんです。『申し訳ない』と本人には謝ったんですけど......」

 たとえ無理だと思っても言わない......それが山田の性格である。それは多賀監督もわかっているはずだ。だからこそ、決断すべきだった。だが、多賀監督は山田と交わした約束、本人の気持ちを優先した。

「私は(補欠校ではなく)センバツに選ばれると思っていましたから、『センバツに出たら、5試合おまえでいく』と。それは年明けの最初の練習の日に山田に伝えました」

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