日本一経験の名将は日大三島で指導方針を転換。報徳学園時代の方法では「時代にそぐわない部分もある」

  • 沢井史●文 text by Sawai Fumi
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 夕焼けに照らされバットを振る選手を見つめながら、日大三島高校(静岡)の永田裕治監督は、昨年夏の県大会を回顧してこう呟いた。

「去年の3年生なんて、試合に勝ったあと、ホームベース付近であいさつした途端、(練習試合の時のように)相手ベンチに(あいさつに)行こうとしたんですよ。慌てて止めて、ホームベース上に横に並ぶように指示したら、隣にいた女子マネージャーが『先生、私たちは試合に勝って校歌を歌ったことがないんです』って言われて......」

 永田監督は苦笑いを浮かべながら、こう続けた。

「昨年の秋、草薙球場に行った時も、どこから中に入るのか勝手がわからなくて、選手らはビクビクしていました。浜松に行った時もそうでした。球場にも慣れていないというか......。そういうところからのスタートだったんです」

就任わずか2年で日大三島を甲子園へと導いた永田裕治監督就任わずか2年で日大三島を甲子園へと導いた永田裕治監督この記事に関連する写真を見る

【昔の指導は今の時代にそぐわない】

 母校である報徳学園(兵庫)を1994年から20年以上率いて、2002年のセンバツで全国制覇の経験がある永田監督が日大三島の監督に就任したのが一昨年4月。U−18の日本代表監督も務めたことがある名将は、当初は「(甲子園出場まで)早くても3年はかかる」と腹をくくっていた。

 だが、就任2年目で秋の東海大会を制し、センバツ出場を決めた。

 足取りだけを見ればしごく順調に見えるが、永田監督は強く否定する。

「昨年夏の県大会(4回戦)で負けてから、試合どころか練習する時間もほとんどありませんでした。せっかく試合を組めても、コロナ禍の影響で中止になったり......」

 日大三島は、平日は月曜日と火曜日は7限目まで授業があり、練習開始は17時前になることもある。そのうえ、20時には完全下校しなければならず、土曜日も午前中に授業があるためほとんど遠征ができない。グラウンドは学校の敷地内にあり黒土が敷かれているが、全面を使用できるわけではなく、いわゆる"強豪私学"と呼べるような環境ではない。

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