「4人の上野由岐子が投げている、という感覚がありました」。女子ソフトボール上野が振り返る東京五輪 (2ページ目)

  • Text by Sportiva

――2016年8月には、東京五輪での競技復活が決定します。その時に何を思いましたか?

「『子供たちに夢を繋げることができる』と思いました。ソフトボールをただ好きでやるのもいいですが、五輪を目標にしてやってほしかったので。私は五輪のお陰で、いろいろなことを歯を食いしばって我慢できたし、あらゆる困難を乗り越えたことで、人としても成長させてもらった。子供たちにも同じような経験をしてほしかったんです」

――ただ、東京五輪は開催が1年延期になります。高いモチベーションを維持するのは大変ではなかったですか?

「正直、昨年にやりたかったですけど、モチベーションを保つのはまったく難しくなかったです。全世界、全競技の選手たちが同じ条件ですから、延期を言い訳にしたくなかった。『延期があったから調子を崩して負けた』とは言いたくなかったし、周囲にも言われたくなかった。私は年齢的にも『39歳だから負けた』とも思われたくなかったので、やる気は出ても、ネガティブになる要素はなかったですね」

――上野さんは日本チームで最年長でした。経験豊富なチームリーダーとして、自身の役割をどう捉えていましたか?

「『背中を見せるだけ』という感じでしたけど、若い選手たちにはなるべく私から、冗談などを交えながらコミュニケーションを取るようにしていました。歳の差がある選手、後藤(希友/みう)なんて私の半分くらい(20歳)ですから、あちらからは話しかけづらかったでしょうしね」

――東京五輪では6試合中4試合で投げましたが、毎試合で投球フォームを変え、「決勝で完成した」と話していましたね。

「自分の中のピッチングのイメージが試合ごとに違っていたし、決勝に関しては投げるタイミングやリズムをアレンジしていました。4試合とも本当に違うピッチングスタイルで、『4人の上野由岐子が投げている』という感覚がありました」

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