「すぐ辞めそうだった」男が大阪桐蔭のエースへ。センバツ初戦で快挙を達成した (3ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Okazawa Katsuro

 長澤も和田について「見るからに細くて、ひ弱な感じがした」と印象を受けたほどで、ストレートの球速も120キロ程度。そんな男が「化けた」背景には、2つの大きな理由がある。

 ひとつは投球フォームの改造だ。中学まではオーバースローで、制球も安定しなかったが、高校1年夏にスリークォーターに変えた。きっかけは、ピッチングコーチも兼任していた森岡からの「好きに投げていい」というアドバイスだった。森岡が明かす。

「一番強くボールを投げられる腕の位置を確認するには、遠投がいいんです。和田の場合、遠投での腕の位置が横気味だったんです。だから『もっと腕を下げてみたらどうや?』と」

 現役時代はアンダースローだった指導者からのアドバイスよって腕の位置を下げた和田は、それまで安定しなかったコントロールが劇的に改善された。さらに同時期、寮の規則違反でグラウンドの草刈りを命じられたことが、結果的に和田の覚醒をアシストした。

 スナップを利かせながら、テンポよく鎌で草を刈っていく。この感覚を身につけたことで、スライダーを習得できたと和田が笑う。

「これ、本当なんです。ちょうどこの時期、フォームも変えて真っすぐもそこそこ投げられるようになっていて、『何か変化球を投げられないかな?』と。草刈り期間が終わってからスライダーを投げたら、すごく曲がるようになっていたんです」

 制球力向上と変化球習得は"偶然の産物"だったかもしれないが、球速アップは地道な努力が実を結んだ。

 グラウンド周辺のランニングでは、長澤の「握力をつけさせる」目的のもと、両手にレンガを持ちながら走った。また、約30メートルの坂道ダッシュを1日100本こなすことで、球速はもちろん体力も養われていった。

 彼らが2年の夏、大阪桐蔭はまたも大阪府大会ベスト16で北陽に敗れた。だがこの試合、2年生で唯一マウンドに上がった和田を「オレらの世代は和田がエースになるんだろうな」と、チームメイトは認めるようになっていた。

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