2021.02.23

「もう無理かも」の弱気から甲子園出場へ。公立校・柴田が取り組んだ意識改革

  • 樫本ゆき●文 text by Yuki Kashimoto

 しかし、甲子園はまだ遠かった。「あと1勝」の壁が破れないのだ。山の頂上が見えてくると、目の前にはいつも佐々木順一朗監督(現学法石川監督)率いる仙台育英がいた。勝てない。勝ち切れない。「10年間で11敗はしたと思う」と平塚監督。「2度目の決勝で負けた夏は、さすがに堪(こた)えました」と振り返る。

 主将・上林誠知(ソフトバンク)、熊谷敬宥(阪神)ら擁する仙台育英と対峙した、2013年夏の決勝戦。柴田は初回5点を先制するも、好投を続けていたエースが打たれ、最後は押し出しのサヨナラ四球で敗れた。「最後に勝ち切る難しさを知った」(平塚監督)。そこからしばらく、勝ち方がわからなくなった。2014~18年の5年間は、公立校に夏5連敗。「甲子園はもう無理なんじゃないかと、弱気になった」と吐露する。

「同じように練習しているのに勝てない。おそらく、日常生活の甘さや、練習が詰め切れていないことに起因していたのだと思いました」

 原点を見失っているのではないか、と考えた。「生徒はどんな時にやる気になるのだろう?」をもう一度深く、考えた。

「どんなに厳しい練習であっても、その練習が自分の力になると直接的に感じられた時に生徒はやる気を出す。練習の意図を十分に理解させ、正しい方向で努力させることが第一である」

 たどり着いた答えは、部員不足のチームを指導していたころのマインドだった。

近隣の上野山(標高270m)をダッシュで駆け上がる名物の山道トレ photo by Yuki Kashimoto近隣の上野山(標高270m)をダッシュで駆け上がる名物の山道トレ photo by Yuki Kashimoto

 たとえば、柴田の名物練習「山道トレ」。近隣の山道をかけ上る冬の基礎体力トレーニングだが、平塚監督は「何本走れ」ではなく「何本走るか自分たちで決めなさい」と言い方を変えた。選手は話し合って、少し上のレベルの本数を口にする。5本だった山道トレが10本になり、15本になり......。自分たちで目標を設定できる、いまのチームが出来上がっていた。