甲子園優勝3回。木内幸男監督の「マジック」はいかにして生まれたのか (3ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • photo by Kyodo News

「みなさんはバントで送ればと言うけど、得点圏にランナーがいると、とてもヒットを打たせるような投手じゃない。でも、一塁ではちょっと気を抜く時があるので、それを長打に......と考えていました。1イニングに1点じゃなくて、2、3点を狙っていました。それとね、どこかに故障がある人っていうのは、勝っている時はいいけど、負けパターンに入ると気力が萎えてしまうことが多いの」

 ダルビッシュはこの大会、持病の腰痛にくわえ、準々決勝で右足を痛めていた。そんな故障者の心理までも見越した采配で、自身3度目となる全国制覇を成し遂げた。

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 木内監督の采配は"木内マジック"と言われる。普通ならバントの場面で打たせる、打順を変更する、中軸に代打を送る、ワンポイントリリーフを送る......。一見、セオリー無視の采配に見えても、それが見事に当たる。なぜ、そんなことができるのか。木内監督はこのように言っていた。

「木内マジック? そんなものはまったくねぇんだよ。オレにしてみれば、当然のことをやっているだけなの。第三者から見れば『あれ、なんで?』って思うかもしれないけど、オレにはちゃんとした根拠があんのよ」

 それを可能にするのが、選手を観察すること。木内監督は引退する数年前まで「どんなに遠くからでも、ひと目見れば誰だかわかる」と言っていた。うしろ姿や立ち姿を見るだけで、その選手が誰なのかわかるという。

 見ていたのは、それだけではない。練習や試合での行動、ミスをして交代させられた直後のベンチでの様子、その後の練習態度......。あえて厳しい言葉をかけてメンバーから外したり、練習試合で審判をしている選手を突然起用したりするなど、あらゆる手段で性格や闘争心の有無を把握していた。

「指揮官にとって最も必要なことは部下を知ること。全国で一番長くグラウンドにいるのはオレだと思ってやってきた」

 選手を見続けることをポリシーとし、「オレぐらい選手のことを知っている人間はいない」という自信と監督歴50年以上という経験がすべての根拠となっていた。「観察眼」と「洞察力」。"マジック"という表現だけでは表せない気づきこそ、木内監督の最大の武器だった。

 道具の進化や技術の進歩などにより、昨今の高校野球はパワー全盛の時代になり、細かい駆け引きよりも個の力勝負になっている。木内監督のように"マジック"と呼ばれる采配ができる監督はしばらく出てこないだろう。木内野球をもっと見たかった。合掌。

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