大阪桐蔭の応援団長が「パワプロ」で覚醒⁉新記録樹立でドラフト候補へ (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 密かに大石の動向を気にしていた私は、「いったい何が起きたのか?」と不思議に思っていた。というのも、その前年に天理大が大学選手権に出場した際、2年生の大石は「9番・ライト」として出場した。あの控えセンターが大学でレギュラーになったのか......と感慨を覚えたものの、その時点ではドラフト候補と呼べる次元ではなかった。

 急速な進化の裏に何があったのか。コロナ禍で春のリーグ戦が中止になり、大学最後のリーグ戦に向けて調整する大石にリモート取材を申し込んだ。

 大石は兵庫県西脇市の黒田庄という地域で生まれ育った。

「後ろに山、前に川、横に田んぼ......。緑があって、自然豊かなド田舎ですね(笑)。広場がぎょうさんあったので、学校が終わったらずっと外で遊んでいました。街灯がなくて真っ暗になるので、夜は家におったっすけど」

 三木シニアでプレーした中学時代のある日、練習中にチームの会長が血相を変えて「大石、どこや~!」と叫んだ。会長のもとへ向かうと、思いがけないことを告げられた。

「桐蔭がOKやぞ。行くやろう?」

 練習を見にきた大阪桐蔭の西谷浩一監督が、大石に興味を示したという。当時の大石はエースで4番を打ち、最速135キロの注目選手だった。だが、大石は反射的に「いや......」と言い淀んだ。素気ない反応に、会長は「何を悩むねん!」と返す。事の重大性を自覚していない大石に、焦れたのだろう。

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