磐城高OBが思い出す2011年夏の高校野球福島県大会「ハードルは高かった」 (3ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Kyodo News

 大学教授を招いて勉強会を開くなど、専門家からの科学的な見地、野球の現場で働く自分たちの経験を客観的に擦り合わせる作業を、徹底して行なった。

 ところが、である。夏の大会の開催実現のため万全の準備を進めていたとしても、世間の風当たりは強かった。県高野連の電話が鳴る。そのほとんどが、懐疑的な意見やクレームだった。

「外に出ること自体が危ないのに、野球をやらせるなんてもってのほかだ!」

「お前たちは人殺しと同じだ!」

 時にはこのような厳しい意見もあったと、宗像は教えてくれた。

 大会期間中は、試合会場で毎朝6時に線量計で放射線量を計測し、当時、国が屋外活動制限の基準としていた毎時3.8マイクロシーベルトを超えた場合は中止。降雨の際も線量をチェックし、試合続行の可否を判断した。

 会場の補助役員を務める野球部員にも配慮した。グラウンド整備担当にはゴム手袋を装着させ、駐車場での誘導係は、長時間屋外にいることがないよう頻繁に交代させるなど気を配った。

「毎日がドキドキでした。1カ所でも基準値を超えていたら中止ですから。あの年の夏の大会は、マスコミの数もすごくてね。朝6時の測定の時から、カメラが回っていましたから。テレビ局からすれば、『線量オーバーで中止』の画を撮りたかったんでしょうけど、僕たちはそうならないように、できるだけ沿岸部から離れた会場を設けたりして、準備を進めてきたわけです。大会期間中に一度も(基準値を)超えることがなかったのでホッとしました」

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